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【私の好き嫌い 特別編】パブリックエネミー・“明治”その功罪(後)①
二十二.明治(後)
本稿は以下の続きです。ます。
23年前ぐらいかな。二十一世紀になったばかりの頃にダフト・パンク(今は解散? 活動休止かな?)が発表した「Harder, Better, Faster, Stronger」というテクノ・ポップがありました。
前稿で文明(西洋文明)のはなしをしましたが、文明の正体をよく表現した名曲だと思います。
もっと、よりよく、はやく、ちからをこめて、時間をむだにするな、しごとはぜったいに終わらない、つくれ、やれ、もっともっと、しごとが終わったあともはたらけ、わたしたちのために、はたらけ。
お国のために。
1868年(西暦)が明治元年ですが(ちなみに皇紀2528年)それ以前は、日本というくには現在のUSA(ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ)よりももっとバラバラな感じの集合体であったらしい。
というか藩というのが分類であり、この藩がはんぶん国みたいな感じであったようである。一応将軍とゆう人が江戸におり(徳川家)この人がナンバー2であり、実質的には最高権力者であった。ナンバー1(天皇家)は京都にいた。
まず1と2が西と東に分かれて、ややこしい。ちゃんとした中央集権ではない。基盤がゆるゆる。というのもこの時代は電気も電話もないし、はやく走ったり馬に乗ったりして情報を伝えねばならない。スピードが、おそろしく遅い。今にくらぶると。
なので各地では自治というものをする。殿様がおって、その親族とか家来とか家来の親族とかがいる。藩を横切ると言葉もちがう。何言ってるのかわからない。物理的にディス・コミュニケーションである。つーか藩どころかそれぞれの地域で言うこともやることも違う。川の向こうに行くと、なんやここ、キモみたいな感じになる。
そんな具合なので現在とくらぶると虫みたいに人が生きている。朝から晩まで働いている。といってもあさからばんまでの間にものすごくダラダラしている。女たちはぐちゃぐちゃ、べちゃくちゃと話をし、男たちは昼寝したり道端で小便をしたりする。もちろん女もみちばたでする。「ちょっとしつれい」などといって。
夜になると真っ暗である。電気がないから。やることがないので子どもがどんどん生まれる。中には死産とか妊婦が死ぬとかも普通にある。女と子どもと老人がどんどん死ぬ。死なれると困るのでどんどんやるわけである。
男たちは首筋をきたない爪で掻いて「暑いのう」おかしな気候だと話をする。
「なんでも、あれだよ」
「なんや」
「あれあれ」
「なんかちゃ」
「んー、わすれたわ」
「あほが。口とじとけ」
「なんやコラ……。あ、おもいだした」
「なんや」
「おまへ。三萩野の団子屋知っとおやろ」
「おお」
「あそこにな、嫁さんが来たんよ」
「えー!」
「そうよ。二人目よ」
「どんなひとなん」
「びっくりしたわ。えらい別嬪で」
「見たんか?」
「見てない」
「なら何で分かるんよ」
「聞いたわけよ」
「誰に」
「弟よ」
「は、三平のことか」
「そうよ」
「え、三平かえってきたんか」
「うん」
「ほう。おまへも苦労するの」
「……うむ」
「そんで。三平なにしとるん」
「うん……」
「どうもなあ」
「どげんしようかね」
「ふーむ」腕を組む。
「あいつな、長崎に行っとったんやと」
「ほう。ながさきというのはどこや」
「にしのほうよ」
「ふーん」
「で」
「でな、清人におうたんやと」
「しんじん? なんやそれ」
「異国の人や。なんも知らんのおまへは」
「知らんわ。伯方か」
「もっと西や、アホ」
「ふーん。で?」
「知らん。話はそいだけや」
「なんじゃそれ」
という様子だったのである。おそらく1850年代ごろの話である。
本稿つづく