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【大慈悲】変な人に話しかけられるのは、自分も変な人だから?(中篇)
首里で育ち、変な人たちに接触せられ、いまでも誘蛾灯のようにして町を歩いている私であるが、何も首里だけではない。本島中部でも、深南部でも、北の、山原(やんばる)でも同じである。
また、福岡でもそうだったし、長崎でも、広島でもそうだった。勿論東京でも、埼玉でも神奈川でもそうだった。中国地方、四国、関西でもそうだった。一度行ったきりの北海道ですら、変な人ばかりがいた。そして話は、何も日本に限るわけではない。
バンコックでも、ソウルでも釜山でもそうであったし、台北でも台中でも高雄でもそうで、東洋のみならず、ロスエンジェルスでも、サン・ディエゴでもそうで、さらには、メキシコの、ティファナでもそうであった。
これはもう、世界的現象であると言わざるを得ないようである。
私と妻の新婚旅行は米国西海岸に行った。これは当時、末の妹がロスエンジェルスの大学に行っており、これを先達としたのである。ロスエンジェルスから南に車でロードをひた走り、なんとか、かんとかいう町を宿とし南下し、サン・ディエゴに行き、国境を渡ってメヒコにも行った。
ティファナという町で、今では結構危険な町になっているらしい。当時もドープな感じだったが、ゾーニングのような感じで、あっちに行かなければオッケリングみたいな具合であった。
オッケリング地域を歩いていると、道路を挟んで、売春町であった。スペイン系なのか、メスティーソなのか、白人のなれの果てなのかよくわからないが、半裸の女たちが立ち並んでいる。すごい美人たちなので、私は妻の手を引きながらジロジロ見た。乳もでかいし、尻もでかい。しかし結局南極妻はEカップであったし(尻は小さいが)、私は亜細亜人の方が好きなので、そのとき妻の手を離すことはなかったようである。
入ったスペイン料理屋で、タコスください、と言ったら、店員は軽蔑するように「ここはスペイン料理やだよ。タコスはないよ」と言った。なので魚料理を食べた。うまかった。本当に。食後「タバコ吸っていいすか?」ときくと、「なんでそんなこときくの? 吸いなさいよ」と言われた。吸うと、店内のアングロ・サクソンの観光客たちが露骨に嫌な顔をしてきた。アジアはこれだからいやだわ、みたいな。店員をみると、肩をすくめて苦笑していた。
私と妻と妹はテラス席に移動し、私は大いに煙草を吸った。ソルティ・ドッグをたのんで、のんだ。きほんてきにカクテルは好かんが、このときのソルティ・ドッグは美味だった。アルコールがつよい。ふらふらした。
移動式の、軽バンドのひとたちがきて「一曲どうですか」と云う。妹はアメリカ風の英語でぺらぺらと、このふたりは新婚なのよ、というと、軽バンドはその場にふさわしいような曲を披露した。それを聴きながら、いい感じで酒をのんだ。
帰途、メキシコに来たのにタコス食ってないじゃねえかということで、屋台みたいなとこでタコスをもとめて、食べた。味はふつう。まあそれでもメキシコの味がした。
こどもが多いなと思った。こびとみたいな人たちがわんさかいる。少女が寄ってきた。見ると、妊娠している。びっくりした。9歳ぐらいにしか見えない子どもが、腹をおおきくしている。原住民の末裔だろうか。
空き缶をもって、私には見当もつかないことばでなにか言っているが、おかねください、トいっているのはわかった。私は一ドル札を缶に入れた。
それを見ていたアングロ・サクソンの観光客のおばさんが「ゴッド・ブレス・ユー」と私に言って、すたすたと歩いて行った。
おまへは何もしないのかよ、と私は思った。
世界はひろいというが、こんな感じ。どこに行こうが、変わりはない。
本稿つづく