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【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日㊹島の太陽
ちなみにここから巌流島までは近い。定期の観光船も出ている。
思うに、日本における江戸や、中国における清という時代はいい意味でも悪い意味でも存在というのが膠着した思い出であった。この記憶や思い出は現在に及ぶまで連綿と受け継げられている。
(記憶)や記録のデータ的な引き継ぎはこれまで人的コスト、経済的コストがかかっていた。しかし、これから先はそれらのコストの大幅なカットが見込まれる。特に記録に置いてはほぼ只といっても過言ではないだろう。電力と機器さえあればよい。人を雇うのにくらぶればそのコストは天と地、雲泥の差がある。
コストは安いに越したことはない。だから、記録においては今後、電気と機器が圧倒的に有利に推移し、そのシェアを完全なものにするだろう。というか今現在がそうなのかもしれない。紙に印刷された情報を、もうすでに電子は圧倒しているのかもしれない。私はまだそう思わないが。
取り換え子という問題がある。
これはおそらく産院の責任である。産んだ子が、じつは自分の子ではなかったという話である。これは、よくわからないが。
いや、病院の責任なんだろう。
産業革命以降、次からつぎにというベルトコンベア式の風潮が蔓延した。
産院もその例外ではない。レディース・クリニック、もしくは産婦人科単院の病院ではままあることである。
そもそも、膣内の事情は男にはわからない。あるいは女にもわからないのかもしれない。事情によるが。
そこに来て、右も左もわからない初産の妊婦にすると、勝手がわからない。分かるわけがない。
隣のベッドのひとは3人目らしい。隣のとなりのひとは初産。隣のとなりを、隣にしてくださいとは中々言えない。
そもそもゆきこは個室だった。S・レディースクリニックの三階。
その頃私たちは東京に住んでいて、私は数か月の、2LDKの独り暮らしで無残なほどに痩せていた。
久しぶりに妻に会い、私たちは火の山に登った。臨月を過ぎた大きなお腹だった。そのお腹が山を登ったのである。
帰りはロープ・ウエーに乗った。
その翌日、雪美は子どもを産む促進剤的な注射をされた。注射の効果は覿面で雪美はうんうん唸った。しかし、すぐには産まれなかった。帝王切開で生まれるまで、15時間以上かかった。
雪美はうんうん唸っていた。
その間、何もやることがないので持ってきた『マゾヒストМの告白』という本を読んでいた。下らない本だった。
本稿つづく