【連載小説 短篇予定】美の骨頂㉜貝合わせ……花の色はうつらない……Forever Young,forever Beautiful
なっちゃんとうちはオナ(同い年)でオナブ(同じ部)でオナクラ(同じクラス)でオナマチ(住んでる町が同じ)でオナチョウ(同じ四丁目)でオナバン(同じ二十二番)で、トナゴウ(うちは二号、なっちゃんは一号なので隣)でした。要するにうちの隣になっちゃんの家はあり、当時は写真屋をしていました(今はつけ麺屋です)。
わたしたちが性に目覚めたのは7年まえの2010年のことで、なっちゃんは巨乳だったのでよく揉んでいました。うちがね。
「なんでなっちゃんはこんな乳出てるのにうちは出てないわけ」
ときくと、
「あせちゃんの家は真面目だからだよ」となっちゃんは言いました。
なっちゃんの家に遊びに行くと、写真屋なのでいわゆる複製画像、複製動画がたくさんありました。メディアは様々で、フィルム、DVD、HDDなどでした。勿論猥褻なのもありました。
なっちゃんのお父さんは芸術家タイプだったのでうつくしいものが好きみたいでした。お母さんは水商売をしていたのでエロいものがすきなようでした。
わたしたちは主に、このなっちゃんおかあの蒐集した猥褻動画をいっしょにみました。
男女、男男、女女、動物動物、動物男、女動物、老若、若老、など色々な組み合わせがありましたが、なんとなく、たいしたかずでもないな、と思いました。しかし、この、被写体を個人として想像すると、目も眩むような無数となりました。
うちはこのとき、想像力の大切さを知りました。
多く見たのはやはり男女ですが、女女も好きでした。というのもうちらも女と女だったからです。映像を参考にして、ふたりで裸になり、交わりました。あれなカンジではなく、体操みたいな様子です。
スポーツ・フェスティバルでした。ふたりとも汗まみれ。当時は女バス(女子バスケット部)にいっしょに所属していたので、そのトレーニングのようでした。
那覇中(実在)に進学し、ようやくうちのカラダも丸っこくなり、乳も出て、乳当てをするようになりました。こうなると、裸になるのが恥ずかしくなり、楽園を追放されたうちらはそれぞれ違う部に入り、あんまり接点がなくなりました。道で会っても、会釈するぐらい。そんな関係になりました。
「あんた、なっちゃんとケンカしよるん」
とおかあがいいました。
「いいえ」とうち。
「おい、おまえは…はあ、わからんのかね。この北九州のひとでなしは。としごろっつーのがあるわけよ」
と、おとうがいいました。
というわけでうちは男友達となかよくなり、ちょっとだけ挿入するという事案がありました。さいごまではいかなかったので、痛み分け。という具合でした。
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