【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日㊱勘違いと生まれたばかりの手とひだる神
長めのTシャツの前身ごろを血だらけにしたグッドマンが言った。
「メンス。ブラック myth」
スノー・ガーデンの女の店員が対応する。男女の声。
「もう大丈夫」
と由希子。帝王切開で開いた腹の傷をどうにか処置し終わったらしい。いつの間にかウィリアム(婚活ガチ勢 42歳)が助手のようなことをしている。ビニールの手袋つけて、器具をあれこれ由希子に渡したり、受け取ったりしている。
生まれた日の赤ん坊はどこだろう。
ツァイ(台湾人留学生、ロバート、実家はお茶屋 19歳)だ。ツァイが抱いている。茶と焦げ茶と黒の格子模様のテーブルクロス(だと思う)にくるまれて。ツァイは満面の笑みを浮かべて、しかしどこかおそるおそる抱いている腕の中を見下ろしている。テーブルクロスから小さな腕が伸びている。腕のさきには小さな手。まだ濡れていて、いかにもふるえている。
「JJさん」
見ると雪美である。
「なんなんすかあいつら」グッドマンとクリスのことを言っているのだろう。「ていうかすみません、自分。もう大丈夫です」
雪美がおれの腕をつかむ。何だかぬるぬるする。熱もまだあるだろう。もういいから。おまえ、かえれ。と言おうと思うが、なにも言えない。口が開いているのかどうかもわからない。焼酎の四合瓶をいそいで飲んだときのように急にからだが動かない状態になっている。
現代でよくいわれる熱中症というのは実はおそろしい病気であるが、しゃりバテも同じである。けしてなめてはいけない。昔からひだる神という神さまもいる。旅をする人に突然とり憑く。旅人をその場から動けなくする。場所を選ばないので、最悪そのまま死ぬ。行き倒れという状態である。だれも助けてくれない場合、そうなってしまう。
そんなことを為す神が神なのも不思議な話ではあるが。
婦人警官セシタセツコと部下のタムラが店の出口(入り口)近くで話している。
「でも、たぶん犯人はこの中にいるかもしれません」とタムラが言っている。
いねーよ。さっき捕まっただろう。ちゃんと無線を聞けよ。
「いや、この中にはいない」とセシタセツコ。
だからいないって。
ガチャ。二人は出て行った。ドアの外は夜。黒い馬のうなじよりもずっとくろい闇が街の灯りの上に見える。
そこで上下から、おれの瞼はとじられた。
本稿つづく