【マジで今だけ“無料”講座】5・3・1・1の法則ーヒューマン・セラピストから自分が気に食わない人たちへ(後①)
以下の記事の続きです。別に読まなくてもいいです。
というか分かるように書きます。というよりも別に話に繋がりはありません。厳密にいうとありますが、そんなことを言い出したら森羅万象すべてにつながりはあるので、切りがありません。兎に角どんどん読み進めてください。①とか②とかそういうの関係ないんで。『美味しんぼ』とかも、必ずしも一巻から読まなくてもいいでしょ? つーか『美味しんぼ』の一巻てこの世に存在するんでしょうか。私はまだ見たことも聞いたこともありません。
まあそれはさておき。
書き言葉とはなし言葉のちがいとはなんでしょうか。
両者には決定的な違いがあるはずです。ちょっと考えてみましょう。
◇はなし言葉
ダイアローグ。すなわち会話です。相手がいるというわけ。目の前に。ことばが通じる人がいる。ディス・コミュニケーションの問題もありますが、これはまあ、措いておきましょう。とりましゃべっている。相通じている。ような感じでいる。なので、天気の話とか、野球や相撲(その他スポーツ)、二次創作、噂話、告白、無言、性的交合、法律、倫理、お金、歴史などなどの話をする。二人の場合もあるし、3Pもある。4Pもあるし、奇数でも偶数でもどちらでもよい場合、状況がある。兎に角、目の前に相手がいる状態です。
しかし一方、前世紀ぐらいから、録音技術というものが発達し、目の前に人がいなくてもはなし言葉をメディアに記録して、これを頒布するという現象が起きました。
これは、あきらかに、文化的な堕落であると明言しても過言ではないと思います。だって目の前に聞く人もいないのに何となく喋るという現象が起きるようになった。ダイアローグがモノローグになった。はなし言葉としては、これはあきらかな堕落であると、私はそう思います。
◆書き言葉
これはここ三千年から四千年の間に行われている行為であり、割と、というか、現在では自明の理のように受け入れられている行為及び現象であります。
記録された言葉、いわゆる文字は世の中にあふれています。ありふれている。相手のいるはなし言葉と、書き言葉、どちらがより流通しているのかは人によって違うかもしれませんが、私の場合は、書き言葉の方があきらかに多い。それが自分の中に流通している。
みなさんはどうでしょうか。昨今(ここ30年ぐらい)はインターネットの隆盛もあり、文字情報、音声情報、映像情報がもうあふれかえっているわけですが。
みなさんはどのように対処されているでしょうか。
私事ですが、私はもうこの、情報というのものを出来るだけ受け取らないようにしています。多すぎるんです。大杉蓮(北野武映画の常連でしたね)。
はい。
書き言葉は、この数千年の間に、地球上のあらゆるばしょに住む人々の間で広まり、記録され、記憶もされました。その内容の真贋とか、良し悪しの質を問わず。また情報は増殖し、ヴィルスのようにちょっとずつ形を変え、時空を超えて人類に良い影響、悪い影響を与えました。
私は普段、できるだけ目の前にいる人とはなすようにしています。それもできるだけ無意味な話をするよう心掛けています。
そうしないと。
言葉に殺されるような、そんな気がするのです。
つづく