【類は友を呼ぶ】やはり私は変な人に話しかけられるという噺
昨日ではないので、おとといか、さきおとといの話。首里平良か石嶺にある毘爾昆(びにこんと読む→コンビニの意)に行った。
前向き駐車したとき、毘爾昆前に座った、日に灼けた眼鏡のやぶ睨みの男がちろりと見てきた。年の頃は、二十代か三十代。そして、太った、毬のような女が後方から水筒をもってのろのろあるいてきて男の横に座った。
話しかけられるだろう。とすぐ思った。
しかし、話しかけられずに店内に入ることができた。男と女は、なんだか揉めている。
「何も話すことはないといったよねえ」
「言ってない」
「いったさ。こういう、人の話を聞かないひとが、どうのこうの……」
という話をしていた。
新聞とか煙草などを購入した。男がちろりと見てきた。女は地べたに足をのばして座しており、首を前にたおしてうなだれている。
何かアドヴァイスをしようかとおもったが、したところで事情がよくわからない。
なーんだ。と思って運転席に座りエンジンをかけた。
果たして男が立ち上がり、窓のところにきた。
ウィーン。まどを開けた。
「たばこ」
と男はいって喫煙のジェスチャーをした。
「何本? 一本?」
男はうなずいた。
たばこを一本あげた。特に礼もいわない。そう。こうゆうひとたちはそうなのである。礼など期待してはならない。
バックで店を出た。男はもらった煙草を口に咥え、ライターをさがして自分の全身をタッチしていた。胸ポケットにキャメルの箱がある。なんだ手前、もってるじゃねえか、などと思ってはならない。
霊(例)を挙げるとキリが無いほど、こういう体験をしている。外国でも日本でも。生まれ故郷でも。
こういう星の下に生まれたのだと思う。
去年かおととし、石嶺のなんとかセンターの喫煙所で金髪の中年女にとつぜん「百円」と言われた。
「何につかうの?」
女は何もいわない。
持っていない。といって追い返した。
それを、そのときの自分の選択を未だに後悔している。