【読書】さあ、全部(半分)読もう
『新版 空海の夢』(松岡正剛 春秋社2023年6月10日 第十五刷)という本を読んでいる。
書くのはあっという間に書ける。歌もすぐ詠めるし、詩も一瞬でかける。四コーナーを曲がった競走馬のように。ムチ(無知)も必要ない。先行して、中盤も、末脚も一級品である。
しかし読むとなると、オンボロ。遅い。ナマケモノのほうが早いぐらいおそい。なぜこういうことになったのか。
不詳、わたくしめももう五十年ちかく生きた。物心ついて以来、勉強とか努力とか克己とかいうのが大の苦手。おかげさまで何一つものにならずただ歳月だけが流れた。
それでも本は比較的よく読んだ。暇をみつけては。
「もう寝ろ」といわれて、部屋を暗くされてのち、開閉式のちいさな電気器具をつかって読書をした夜もあるという、偉人風のエピソードもある。そのときよんでいたのはミヒャエル・エンデ『はてしない物語』だったような気がする。
読むというは、人間として、最上に必要な行為である。
人生五十年。或は八十年。たいした違いはない。
百年生きる人間はほんの一握りである。というかひやくねんいきたとして、それがどうかというと、どうでもいい。何億年とか何百億年とゆう世界や森羅万象にくらぶれば壁の染みにもならない。
小生はすくなくとも文物を通して三千年生きてきたが、「あ、そ(阿蘇)」という感じであるそれも。
終始無力感にさいなまれるが、併しそれでも生きているのだから仕方ない。
家事をする。仕事をする。労働をする。「本日はお日柄もよく……」などといい加減なことのはを口にする。
人は麺麭や米を咀嚼するためだけに生まれたのではない。
概念というものがある。そのために遊んだり、ときには命を賭けて殺し合いをする。
桑原桑原。
その手は食わなの焼き蛤。
大事なのは口喧嘩でおさめることだ。その先にいけば、意味もなく霊長類が死にまくる。アホが。
まずは本を読むこと。あとは人の話をすなおに聞くこと。
だと思う。
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