【連載小説 短篇予定】美の骨頂⑦原宿の腹は黒くはないが白くもない
凪子(いさなぎこ、なぎちゃん)に誘われて、週末にうちは原宿に行きました。なぎちゃんによると原宿というのは渋谷ではなく、どちらかというと代々木ということでした。
よよぎと言われても何も知らない田舎少女でしたので、ぽかーんとしていると紅白歌合戦をやるスタジオがあるところとのこと。ラサカ係長(よもつひらさか)も一緒に行くことになりました。
なぎちゃんはとても元気で、どうもラサカさんのことが好きなのではないかと思われました。
うちは前日に職場のおじさんおばさんたちと、池袋西口の沖縄料理やで泡盛を二升半のみましたが、とても元気でした。というかむしろよく眠れたというかんじ。
昨夜、うちが高校の頃書道部だという話をすると、店主のバックさんがみせの壁に何か書いてくれといって、筆と硯を用意しました。
うちはまず、
万国津梁
と書きました。拍手が起きました。もっと書けというので、
海邦養秀
とかきました。また褒められました。
次に、
首里鳥堀
と書きました。反応はイマイチでした。なので、
春宵一刻価千金
と最後にかきました。拍手喝采。指笛も鳴りました。
芸は身を助けるという話です。
「あさこさんは那覇東高校なの? 私は北北東高校よ」
と、大学生で、この店のアルバイトの波之上水子さんが言いました。
「はい」
「へえ。ちかいわね。いや、とおいわね」
「はい」
「ちかいか。あはは」
「そうですね」
波之上水子さんは西原の人で、バスに乗って北北東高校に通っていたということです。石嶺町(首里の)の話をしました。といってもうちは出身は那覇なので、首里は鳥堀四丁目と石嶺二丁目ぐらいしかわかりません。
おとうは、三歳ごろから鳥堀で育ったので、鳥堀と石嶺と汀良(てら)と久場川はおれの縄張りだと言っていました。自分で引っ越したくせに、うちの育った那覇のことがあまりすきではないようでした。
「都会のにんげんは腹が黒い」
とよく言っていました。
こういうのは、偏見だとうちは思います。
さいきん閉店したあやぐ食堂の話をすると、ラサカさんが知っていました。
「行ったことあるよ。モノレールの、終点の」
「いまは終点ではありません」
とうちは言いました。モノレール(というかゆいレール)は延伸され、いまは浦添市まで届いています。もう那覇市民のものだけではないのです。
「てだこ浦西駅というのが終点で、もうすぐイオンモールができるのです」
「ふーん」
山手線は内回りに、あるいは外回りに南下していきました。車窓には花の都のはなが散ったあとの若葉がゆれていました。
新宿を過ぎて。
しかし、驚くべき大都会です。
うちは子どものころに読んだ、サイエンス・フィクションの話を思い出していました。
ファースト・コンタクトものです。初めて会う人。はじめて見る景色。
宇宙人。まったく違う習俗。真逆の指向。
うちは「大失敗」をするのではないか。不安になりました。
東京砂漠。
ばかじゃないのかと思いました。砂漠はこんなに甘いものではありません。きっと。
うちも、おとうも砂漠は見たことがありません。おかあはどうだろう。
そう思うと、おかあが自分を生んだ親というのが不思議な気になりました。
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