見出し画像

【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日⑱弥生時代とは何か?

「よくわからないけど、臍の緒がからんでいるかも」と由希子。

 え。

「あんなに陣痛があるのに、赤ちゃんの頭もぜんぜん見えないの。からまっていると思う」

「からむって、どこによ」

「わかんない。でもたぶん首かも」

「え、赤ん坊の首ってこと?」

「うん、首か、あたまか。でも……首かなあ。首だったらまずい」

「まずいというのは」

「赤ちゃんが息ができなくなって、脳に影響するかも」

「のう」

「JJ、これ、切ったほうがいいと思う」

「きる」

 切る?

縄文人と弥生人が混血し日本人の原型が作られる

 日本列島に縄文人とまったく異なる人々が約2300年前から2400年前に姿を見せる。弥生人の登場である。縄文人と弥生人を比較すると、まず、顔立ちが違っており、大ざっぱにいうと、縄文人は濃い顔立ちなのに対して、弥生人はあっさりしており、かつて縄文人は“ソース顔”、弥生人は“しょうゆ顔”などといわれたりした。

(中略)

 弥生人は縄文人と明らかに違うタイプの人種と考えられており、朝鮮半島や中国大陸から渡ってきて北部九州にいた縄文人と混血し、東へと移り広まっていったといわれており、これが現在の日本人の原型になったととらえられている。

(後略)

集落間の争いが日本列島全体に波及

 
弥生時代に伝わった金属器と本格的な水稲耕作はその後の日本列島に大きな影響をもたらした。鉄製の工具・農具は水稲耕作の発達に寄与し、その結果、米などの余剰作物を生み出すことになる。力を備えた集落は、さらに耕地の拡大を求めるようになり、灌漑(かんがい)のための水も必要になってくる。

 こうしたことから隣接する集落間で争いが生じるようになり、それは日本列島全体へと広がっていくことになる。

 その結果、縄文時代に「ムラ」といっていた集落は統合されていき、約2100年前から約2200年前くらいになると、より大きな集落である「クニ」ができてくる。小国の誕生である。こうした日本列島内の争いは、中国の史書によっても確認できる。たとえば、『後漢書』には「恒霊の間、倭国大いに乱る」と記されている。これによると、後漢の桓帝・霊帝の頃(14年~189年)、倭国は大乱が起きていたということになる。

(中略)

 こうした争乱の中から29あまりのクニの連合として誕生したのが卑弥呼を女王にいただく邪馬台国連合である。邪馬台国に限らず、日本列島内においては、各地域においてさまざまな形で抗争があったであろうし、王たちの興亡がみられたと思われる。それらの王たちは、権力に応じて弥生時代の墳丘墓より巨大な古墳を造るようになり、大和をはじめ吉備・筑紫・出雲・毛野などの地域にそれぞれの政権をはぐくむようになっていく。

監修・文/瀧音能之

『歴史人7JUL.2023 No.151』(令和5年6月6日発行・発売 ABCアーク)

82~85ページ

『歴史人7JUL.2023 No.151』

本稿つづく

#連載小説
#愛が生まれた日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?