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【中篇】かぞくあたま⑨終章

 この年の九月二十九日、これはおかあが生まれた日である。そしてこの年の九月二十九日は金曜日の夜、また旧暦の八月十五夜に当たっていた。

 晩の食卓はおかあへの進物などもあり、またこれを祝うためにマグロの刺身、マグロの寿司などが並んだのである。そしてまた豆腐があり、ネギトロ軍艦に巻かれた海苔が丹念にのぞかれたネギトロ寿司などもあった。

 猫はうろうろと落ち着かなかった。刺身を一切れ餌皿に与えられ、この肉片を咥えて床に落とし、少しずつみちゃみちゃと食べた。食べ終わると舌を出して口もとをぺろりと舐めた。そして前脚の猫の手で口もとをぬぐい、ぺろり、ぺろりと舌を出した。

 山芋を摺りおろしたものに卵が落とされ撹拌され、醤油を少しと出汁が少しくわえられ、また撹拌したのを鉄板で焼いた山芋鉄板があった。またフライパンにバターが落とされ、じゅう、じゅうと溶けたところに厚さ3、4センチに切られた豆腐が置かれ、両面に焼き色をつけたところに醤油と出汁で味を適当につけられた溶き卵が落とされた豆腐鉄板も供された。ほっともっとで買われた唐揚げもあり、りうぼうで買われたマカロニサラダもあった。

 また、ローソンで、これは私が買ってきたイカのワサビ漬けもあった。これは素焼きの小皿に入れられ、私の席の前に置かれた。

 デザートはティラミスが用意されていた。おかあはこのやわらかい、あまくて濃厚な食べ物を好んでいた。

 私たち四人の、最後の晩餐はこういった献立で行われたのである。

「中間テストが近いね」

 と、おかあが音声アプリを使用して飛(トビ)助(スケ)に話しかけた。

「うん」と飛助がこたえた。

「勉強はしてるの」

「うん」

 猫がダイニングテーブルの天板に飛び乗り、にゃあ、と鳴いた。

 猫は葉(よう)の席の前に歩み、ふ、ふと鼻をならして葉の手に鼻を近づけた。

 葉はマグロの刺身を食べ、またマグロの刺身を食べた。そしてマグロの刺身を鋏で切って小分けにした肉片をおかあの口に運んだ。

 私は豆腐を食べ、イカのワサビ漬けを食べ、純米大吟醸の日本の酒の、冷蔵庫で冷やしたものを飲んだ。

「英語がわからない」と飛助が言った。

 猫はダイニングテーブルの上を、皿を避けるように歩いて飛助のそばで座った。葉はネギトロ軍艦の、海苔を取りのぞいた寿司を鋏で三等分し、これを箸でつまんでおかあに食べさせた。

「何が難しいの」とおかあが音声アプリで言った。

「文法、なのかな。とにかく意味がわからない」と飛助が言った。

 それはそうだろう、と私は思った。私はティッシュ箱からティッシュを抜いて口元を拭った。文法、すなわち修辞だ、それがわかるはずはないだろう、と私は思った。何となれば、飛(トビ)助(スケ)、これは私の息子であるが、この子どもは言葉を知らない。日本語であろうと英語であろうと、兎に角ボキャブラリーが足りないのである。この子どもには読書の習慣が無い。読む本は英語でも、日本語でもどちらでもよい。しかし、どちらにしろこの子どもは本を読まないのである。文法は、言葉の塊の特性である、その傾向性であり、自然言語を外から見たところの整理整頓である。日本語でも英語でもどちらでもよい、まずは言葉を知らなければならない。文法は、その次の話である。言語を解さない豚に法の精神を説いてもまるで意味がないのと同じことである。

「まず言葉を知らないといけないね」

 と、私は言った。

 飛助は何も言わず唐揚げを口に入れ、そののちコップに入れたコカ・コーラを飲んだ。

 マグロの刺身がのせられたガラス皿は空となり、この皿を葉(よう)が両手で持って皿の底をぺろぺろと舐めていた。テーブルに乗った猫も皿に鼻を近づけ、舐めたそうにしていた。

 食卓の東の窓の外にやわらかい光がおりており、隣の家の建屋、そしてその向こうにある集合住宅の建屋をぼんやりと照らしていた。

 インターネット経由で流していたラジオから三(さん)線(しん)の音がした。「安里屋ユンタ」という民謡であった。
 
 サー 君は野中のいばらの花か サーユイユイ
 暮れて帰れば ヤレホニ 引き止める
 マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
 
 サー 嬉し恥ずかし 浮名を立てて サーユイユイ
 主は白百合 ヤレホニ ままならぬ
 マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
 
 サー 田草取るなら 十六夜月よ サーユイユイ
 二人で気兼ねも ヤレホニ 水入らず
 マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
 
 サー 染めてあげましょ 紺地の小袖 サーユイユイ
 掛けておくれよ 情けの襷(たすき)
 マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
 
 夜は更けた。食器が下げられ、汚れた食器が洗われ、ダイニングテーブルが濡れた布巾で拭かれた。

 まだ風呂に入っていない家族がシャワーを浴び、おかあのトイレの介助が行われ、おかあの就寝前の薬が用意されて、これがスプーンで口に運ばれた。

 布団が敷かれ、家族は皆床に就いた。小部屋の明り取りの窓から、浩々とした十五夜の光が斜めに差していた。

 葉は隣の布団に横になり、すぐにむにゃむにゃとなった。眠るとき、葉はいつも私に寄り添ってくる。首を傾げて、私の鼻のあたりに口を寄せてくる。

 あるいは口を吸いたいのかと思うが、そうではないらしい。私の口、鼻に鼻を近付けて、ふ、ふというようににおいを嗅ぐのである。葉の鼻が私の鼻や、頬に触れることもある。葉の鼻は冷たく濡れている。それが済むと、葉は背をまるめるようにして、眠りに落ちるのである。

 私も眠った。

 目が覚めたのは何時ごろであろうか、未明だと思う、小部屋には不思議な白い光が、フットライトのようにして部屋を満たしていた。

 驚いて身を起こすと、葉が私の足もとに立っていた。葉の立ち姿は、床から少し、二十センチばかり浮いていた。

 光源は葉であった。葉は私の方を見ていた。

 私はその時、あ、と思ったのである、自分が全くの思い違いをしていたことをこの瞬間に悟ったのである。

「JJ」と葉が私に呼びかけた。

「わたしは人ではありません」と葉が言った。

 そう言うのを私はただ聞いていたのである。

 いいえ、元は人だったのです。人であったころの性別は今と同じ、女でした。

 わたしの元の名はグジーといいます。昔、この桃原(とうばる)の地に暮らす姉妹の、姉がわたしでした。自分でいうのもなんですが、わたしは世にもまれな美しさであると近所に噂されていました、そしてふしぎな力をもっていたのです。

 ふしぎな力の詳細については、今は省略します。わたしはこのふしぎな力の起こす現象である日つらい思いをし、世の中に出たくないと思うようになりました、思うというかじっさいに家に引き籠り、糸を紡いだり機織りをしたりして、家から出ないようになったのです。

 そんなわたしを世間が放っておいてくれればよいのですが、そうはいきませんでした。わたしはかぐや姫のように求愛され、結婚を数々申し込まれましたがこれらを全て断り、姿をひんぷんや、仏壇の裏の部屋に隠したのです。

 その当時のわたしは、1988年の宮沢りえさんを今すこし和風にし、またもっと色を白くしたような容貌をしていました。

 私はドキッとした、しかし、葉(よう)、と私は思った、たしかにお前の顔や姿態は整っているが、でも「宮沢りえ」を和風にして白くしたのではないと思うが、お前はどちらかというと少年のような、ジャニーズ事務所にいる色々な美少年の、性格が暗いようなタイプであると思うが、とは、思ったけど言わなかった。

 或る日、わたしは奸計に落ちました、というのも妹の旦那がおり、この旦那は義姉であるわたしが美人だということで、職場とか友人とかのまわりの男たちにどのくらい美人であるのだと問われ、知らない見たことがないと言ったのです。実際わたしは仏壇の裏の部屋から滅多に出ないという生活をしていたので、嫁に行った妹の嫁入り先のその男に顔を見せたことなどなかったのです。

 しかし、この妹の旦那は、これこれこんな感じとか、かぐや姫とか織姫、楊貴妃の例などを挙げて適当にその場をいなせばよかったものを、生来頭の巡りの良くない人だったのでしょう、見たことがないなどと本当の、つまらないことを言ってしまったのです。

「そんな馬鹿な話があるか」とこの旦那の職場の者が言いました。「さては美人というのは真っ赤な嘘で、ほんとうは目も当てられないほどの醜女(しこめ)なのだろう。あるいは不具ものであろう、さてはおまえの嫁の家の血筋は、遺伝性の障害を隠しているのだろう」と有りもしない話をひろげて喧伝するように言い触らしはじめたのです。

 妹の旦那は困って、妹に相談しました。そう言われては妹も困りました。

 ある日妹は久しぶりに桃原の実家に帰ってきたかと思うと、庭先で悲鳴をあげました。

「助けて、助けて、姉さん」

 わたしは慌てて庭に面した表座敷に出ていきました。すると、庭の池に妹が落ちて溺れようとしているのです。

 いまかんがえるとおかしな話で、というのも池は足くびぐらいの深さで溺れるわけがないのです。しかしわたしは以前、航海に出ている父と兄が遭難するところを夢に見たことがあり、溺れようとする兄に手をさしのべ助け、次に父を助けようとしたところを母に起こされ、すると後日現実に那覇のみなとに帰ってきたのは兄だけで、父は遭難死しているということがあったのです。

 父の無念があり、わたしはもう家族を誰も死なせたくないという思いがあったのです。わたしは庭に飛び降り、池に飛び込んで妹を助けました。すると、

「見たぞ、とうとう見たぞ」

 という声がありました。見ると、石垣の上に男の顔が数人あり、にやにやとこちらを見ているのです。

 わたしはすべてを悟りました。わたしはそのまま、家を飛び出しました。糸を紡ぐ作業をしていた途中だったので、わたしの口には赤い糸がくわえられたままでした。

 家の者たちはその糸をたどってわたしを追ってきました。わたしは儀保まで走り、クシヌチャ坂では背後から大声でわたしを呼ぶ家族の声がしました。カミヌ坂を駆け上がり、わたしは夢中で走りに走りました。

 気がつくと、普天間の洞窟にいました。いたというか消えたというか。というか桃原から普天間までは十キロ以上あります。すごくないですか。自分でも知らなかったのですが、わたしは長距離走に適性があったようです。

 糸を追って後から家の者が来ました。しかしかれらにはもうわたしの姿は見えなくなっていました。

 わたしは権現になっていたのです。

 葉(よう)の足は床から離れ、上から私を見下ろしていた。鼻の付け根の奥がつーんと熱くなり、私の目は潤んだ。

 ややこしい話なのですが、

 と葉は言った。

 今のわたしと、権現は同じではありません。あちらが本体みたいなもので今はもう権現です。そして、こちらは、わたしのことですが、わたしはグジーが権現になるまえの、記憶のような、思いのような、気持ちや、思い出みたいなものなのです。

 権現も権現で消えませんが、記憶や思い、気持ちや思い出も消えません。風みたいなものです。あちこちに吹き渡っていきますが、現象としては消えずに、いつまでも残っているのです。

 葉はにっこりとわらった。美しい顔だった。

 JJ、あなたは文人なのでしょう。アドバイスをしてあげる。

 ときどき、お祭りのようにして起こる特異な事象に目を向けてはいけません。あなたのような凡人には、その理由も意味もわかるはずがないからです。誰にでも起こる、ありふれた現象に目を向けなさい。しっかりとこれらを見つめ、できるだけ見逃さないようにしなさい。あなたが書くべきものはこれらの中にあります。これをそのままに書きなさい。困難でも、書こうとしなさい。けっして思い違いをしてはなりません。

 大丈夫、JJ、あなたは真面目な人です。少しく性格がねじ曲がり、自惚れがあり、軽薄で、早合点で安請け合いをするようなところもありますが。

 これから先、あなたには悪いことがたくさん起こります。でも心配しないで。誰かと比較してあなたに悪いことが起こるのではありません。誰にでも、平等に悪いことが起こるのです。古今東西、それが、人の生きる道なのです。勿論良いことも起こります。でも、あなたがたにはそのことが中々見えないようですが。

 JJ、あなたの体のうちには、痔があり、吹き出物があり、腰痛があり、社会不安障害があります。左の耳には耳だれがあり、眼もどんどん、ちかくもとおくも見えにくくなっています。これらはあなたの生涯の友です。これらの者たちは、けして嘘をつきません。この者たちの声をよくきき、普段から慣れ親しみ、そのとき、そのときのあなたの行動をなすさいの指針にしなさい。

 大丈夫、あなたならきっと、いつの日か自分を受け入れることができる。わたしはそれを願っています。

 ありがとう、JJ。

 すこしの間でしたが、あなたと居て楽しかった。

 私は葉(よう)の言葉を聞きながら、ぽろぽろ、ぽろぽろと涙が流れた。「いかないでおくれ」おれにはおまえが必要なのだ、一人にしないでくれ、と言おうと思ったが嗚咽が邪魔をして泣き崩れるばかりであった。

 JJ、あなたタバコをやめなさい。一年近く、やめられたじゃないの、なんでまた吸いはじめたの、何の得にもならないのに。

 私は俯いた。

 涙(なんだ)が数行(すうこう)下り、ぽた、ぽたと床に落ちた。

 それから、あなたは酒の飲みすぎです。自分でも分かっているでしょう。毎日、毎日、ハイボールを二缶のみ、ビールも一缶のみ、そののち泡盛やウィスキー、日本酒ものむなんて。先日の人間ドックでは軽度脂肪肝と診断されましたね。

 私は俯いた。

 あなたは中途半端に智慧がまわるようなところがあるから、この軽度という表現をそのままに「軽度」と受け取って高を括っているのでしょう。あのねえ、軽度の先には中度があります、そしてその先には重度があります。このまま飲み続けていれば、いずれそうなるという意味です。

 というかあなたの家の男たちは代々酒の飲みすぎでしょう。皆酒で死んだようなものです。酒をやめて適度な運動などをすればもう二、三年は長く生きられたものを。ほんとうに、あなたたちときたら。

 わたしはあなたに必ずこうしなさいと命令する立場にはありません。あなたの親ではないのですからね。JJ、わたしがあなたに告げられるのは少しの、いくつかの選択肢です。万病のもとになるタバコを吸いつづけますか、それともやめますか。いずれ五臓、六腑に不調をきたすような飲み方の、酒の飲み方をこれからも続けますか、気をつけますか、それともいっそ酒を一切やめますか。

 あなたが選びなさい。好きなようにしなさい。

 私は俯いた。

 葉は身を翻(ひるがえ)して部屋を出ていった。玄関のドアが開閉される音がした。

 いきなり頭部に鉄の輪が嵌められたような感覚がした。そしてその鉄輪が空に引き上げられるようであった。

 私の体、あるいは私の思い、気持ちが宙に浮いて上昇した。頭部が天井に触れ、しかし何らの衝撃も無くすり抜けるようにして上昇は続いた。

 私は上階の住人の部屋を見た、そしてまた上階の住人の天井をすり抜けた。

 すり抜けるとそこは最上階のバルコニーの床であった。またさらに私は上昇した。ちょうどアド・バルーンのようなかたちであった。

 上昇し、上昇して、上昇した。

 夜の上空から見下ろすと、葉(よう)の姿が見えた。葉は裾の長い白いTシャツ姿で走っていた、裸足で。

 葉は儀保の十字路まで走った、夜道に白が映えていた。十字路を右に曲がり、環状二号線の、赤平の坂をのぼってひた走る。葉の走る姿は四つん這いのようであった。

 坂をのぼって汀(て)良(ら)、また走って鳥堀の十字路を左に、県道29号線を東に、葉は走る。走る。モノレールの首里駅を過ぎ、汀良十字路を過ぎ、最初の信号、トレンドライフとAコープを左に見て、右に曲がり細道に入る。街灯もなくなり、葉は闇にまぎれるようになる。

 幽かに見える白が山を目指して走っている。

 弁ヶ嶽。暗黒の中に葉が入ってゆく。

 その東方、南風原(はえばる)と与那原(よなばる)の先にある海から僅かに曙光の兆しがすこしだけ顔をのぞかせる。やがて朝になる。

 私は目覚めた。リビングの端に布団を敷いて、一人の寝床であった。

 すぐ隣の部屋には妻がパラマウントベッドで寝ていた。私は妻を起こし「葉がいなくなった」と言おうとしたが、やめた。これは胡蝶(こちょう)の夢なのであろうと私には分かったのである。胡蝶の夢というのは、人生そのものという意味である。

 私は部屋を出、階段を降り、明け方の空気の中、桃原の歩道で煙草を吸った。見上げると空はむらさきいろであった。

 人生はそのままである、私は思った。

 しかし、何か、この話には落ち着かないところがあるな、と私は思ったのである。みゅう、みゅう。大学時代に長く働いていた居酒屋の時給は七百五十円であった、ということを急に思い出した。

 みゅう、みゅう。足もとを見ると子猫がいた。

 子というか生まれたばかりというような頼りなさである。大きさは大人の男のこぶし一つ分ぐらいで、猫というか猫以前のような哺乳類の嬰児である。

 みゅう、といって私の足首に纏わりついてくる。

 私は片手でこれを抱き上げた。この猫はまだ目も開いていないような本当の子どもである。

 この猫を抱えて私は部屋に戻り、このようなこともあるかと用意していたダニ・ノミ取りの粉をこの子猫にかけた。

 元々飼っている猫が寄ってきて私の足首を噛んだ。

 子猫の毛並みは茶虎である。

「お前に名を付けよう」

 と私は言った。お前の名は、葉(よう)にしよう、といって私は子猫の首の下に指を入れて愛撫した。

 葉は何も言わなかったが、満足そうに目を一文字にして首を上げて微笑むようであった。

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