【読書記録】「ベスト&ブライテスト」D・ハルバースタム 浅野輔訳
日本では悲劇的な暗殺ばかりが注目され、キューバ危機やベルリンの壁への対応など、数々の活躍が隠れてしまうジョン・F・ケネディ大統領。その組閣はアメリカ中から優秀な人材をワシントンに集めるという、「エスタブリッシュメント」と呼ばれる人事であった。そんなケネディ政権の中でも指折り数えられる汚点が、ベトナム戦争の泥沼化である。なぜ合理主義を貫こうとしたチームがあまりにも非合理なベトナム戦争へと足を踏み入れてしまったのか。ここでは、図書館の貸し出し期限のために中途半端にしか読むことのできなかったシリーズの半分まで、ケネディ暗殺までの記録。
能力主義と短絡的に結びつけていいのか
とはいえ、果たして「ベトナム戦争が激化したのは優秀な人材を揃えたからか」という問題に対しては、個人的にかなり疑問を抱いている。本書の端々から読み取れる難しい状況から判断するに、ケネディ政権はマシな決定を続けたのであって、どんな政権であってもベトナム戦争は泥沼化したのではないかと思えるからだ。そんなわけで、この本を論じる文脈で、短絡的に「能力主義は正しいか」というマイケル・サンデルの話と繋げるのには、疑問を感じる。
今現在読んでいる、ダニエル・カーネマン「ファスト&スロー」の中でも、我々は結果の原因を判断するときには、能力の差以上に幸運・不運の影響を考慮しなければならないという指摘がされている。本書もケネディ政権を徹底的に糾弾するというスタイルで書かれてはいない(少なくとも読む前に予想していたよりは糾弾することに重きを置いていない)。あくまでドキュメンタリーとして、事実確認を前面に置いたうえで読むべき本ではないだろうか。
とはいえ、歴史にifがないのに加えて、我々の頭は偶然よりも必然がお好みなので、ケネディ政権の中からベトナム戦争激化の原因を探って行くことになる。ケネディ政権の群像劇の体裁を取る本書は個人的にはかなり読みにくく、かなりの箇所でページを飛ばしているが、本シリーズ前半までで見て取れる普遍的な教えとして、以下のようなものがあげられる。
シビリアンコントロールの難しさ
彼らは、意のままに軍部を統制できると考えていた点で、傲慢であった。緩急自在に軍事的圧力を調節し、それを政治的目的に合致させるということは、一旦戦争に足を突っ込んだ以上、不可能であった。情報は軍部に握られ、兵力を増派しなければアメリカ軍兵士の生命が危ういという議論が罷り通る。文官が将軍を統制する最善の道は戦争を起こさないことである、ということを、彼らは知らなかった。
(第1巻 P27)
思えば我が国が軍事国家の道を歩むようになったのも、戦争を始めたことによってシビリアンコントロールを失ったためであった。そして意外かもしれないが、我々が軍事面ではるか上に仰ぎ見るアメリカ軍は、往時の大日本帝国軍のように虚偽の戦果を報告していたのである。もちろん真実を伝えようとする動きを揉み消しもした。アメリカが自由と人権の強力なイデオロギーのもとに設立された国家であったからよかったものの、ことによれば第二の大日本帝国が誕生し、自由を謳う軍事政権国家が世界最強となるところであったのは皮肉な話である。
また、ベトナム派兵賛成派(主に軍部)は得てして空軍力を過信していたと書かれている。文官が疑念を挟んでも丸め込まれた。第二次大戦を大きく動かした空中戦に特化した部隊が創設・増強され、空中戦の失敗例があまりにも少ないことから、ベトコンが非近代的であるという侮蔑と相まって空軍を投入すればすぐに決着がつくと考えられたのである。枯葉剤や非人道的兵器の投入も空軍戦力によるものだった。
膨大な懸案事項
また、いくらケネディ政権が合理主義を求めた優秀な人材で組閣されているにしても、冷戦真っ只中の当時には議題があまりにも多すぎた。キューバ危機やベルリンの壁といった冷戦にまつわる重大な決定事項が目の前で山積する中にあって、アジアの小地域の話などとるに足らない問題であり、またベトナム問題も内紛の終結というよりは宗主国フランスを復興させるという問題に成り下がっていた。そのためアジア対策グループがベトナム問題を重要だとして幾度となく忠告していたにもかかわらず、政権中枢は聞く耳を持たなかった。
そしていざことが大きくなると、今度は国民感情に揺さぶられることになる。ソ連の共産主義の実態が全く掴めない中、中国では国民党が台湾に敗走して共産党が大陸を支配し、アジアは共産圏の手に落ちつつあった。これ以上共産圏を進出させられない。そんな不安とアメリカの独りよがりな義務感のために、宗主国フランスさえ敗北し手を引いていて、割りのいい話ではないことを知りつつも、ケネディは国民のためにベトナム派兵へ踏み切る理由を作り上げなければならなくなっていたのである。
ケネディは、熱意と意欲に溢れてベトナム介入を決定したのではない。時と状況から判断してそれ以下の行動をとることができなかったが故に、やむなく下した決定なのであった。したがって、ケネディは自分の決定を心底から確信しきっていたのではない。
(第2巻 P22)
優秀さゆえの排斥的な雰囲気
ベスト&ブライテストを絵に描いたような人間に、国務長官のロバート・マクナマラがいる。何十枚にも及ぶプレゼンテーションのスライドの矛盾点を即座に言い当てるほどの合理性に特化した頭脳からは「計算機の音がした」とまで言わせるほどであった。それゆえに自分の行動については誰よりも自信があった。
自分の行動に対する全面的な確信、これが彼[マクナマラ国防長官]をあのように有能な長官にするとともに、彼よりも賢明だが、控えめの人物を払い退けるあの容赦ない強引さをも生み出していた。
(第2巻 P35)
これは他の優秀な閣僚、さらには能力主義というシステム自体にも言えることだろう。有能な人が仕事をしていれば、何か問題があっても、それを口に挟むまでもないという周りの無駄に謙虚な心を引き出してしまう。「人間は誰しも間違える」とは言うが、実際に間違いがあったときにそれを自分よりも有能な人間に指摘するのはただならぬ勇気が要る。
本来はシリーズ全体をしっかり通読してから記録として残すべきなのだろうが、群像劇という当事者でもなければ事実関係を捉えにくい体裁を取っているのと、多忙な中にあって貸し出し延長を認めない吝嗇な図書館の運営方針のために叶わなかった。落ち着いたら(そんな日は来ないと思うが)腰を据えて再読したい。