【読書記録】三島由紀夫「仮面の告白」
言わずと知れた三島由紀夫の代表作。友人が持っていたものを借りた。
作品全体で主人公の同性愛をはじめとした数々の内面の吐露という体裁をとっているが、同性愛でなくても納得してしまう側面がある。それは悩みを持つが故のものではなく、男性観のようなものだ。筋骨隆々とした野暮ったい男が苦痛を与えられて苦悶の表情を浮かべる、この描写に性的興奮ではなくとも感傷に浸ることができる人は少なくないのではないか。たまたま同性愛という、当時から見れば強烈な設定があったために、どこか偏屈した感覚ととらわれかねない恐れを含んでいるが、私にとってみれば、この手の男の姿は「将来こうなりたい」という憧れの対象である。
そこにはおそらく病弱な主人公が、またひ弱な私が自分のもたぬ男らしさを羨む感覚が巣食っているのだろう。性愛は自分に欠けた片割れを探し求める行為であるというギリシアの有名な思想を色濃く感じ取ることができる。何も性愛に限らずとも隣の芝生は青いものだ。結局人間は、持たざるものを求めていく生き物に過ぎないのだろう。
昨今の同性愛の「カミングアウト」の風潮は、不必要なまでの強制力を感じてしまう。現代的な視座から人倫に悖ることのないよう、カミングアウトされた人は当人の性愛を否定してはならないという文脈においては、一切の否定の感情を持たない。しかし、これはカミングアウトの成し手に対して、告白を強制するものであってはならない。結局のところ主人公は誰一人に対しても告白はしていないし、告白する必要もなかった。「仮面の告白」の相手は我々読者にかぎっている。己の弱さを島崎藤村「破戒」の主人公のように人に打ち明けたいと思うことが全くないのは、何も不思議なことではないだろう。誰だって自分の弱さを曝け出して相手に頭を下げるようなことはしたくない。