【読書記録】「数学に魅せられて、科学を見失う 物理学と『美しさ』の罠」ザビーネ・ホッセンフェルダー 吉田三知世訳
ここ数十年、素粒子物理学の分野で既存の理論の反証がいくつか現れてきたが、未解決問題について大きく前進する決定的な理論が実証されていないことについて、素粒子物理学者自ら警鐘を鳴らしたもの。素粒子加速器のスケールがあまりにも大きすぎるため実験が進まず、理論が先走ってしまうのが背景にあるが、その理論家が研究の前提として美意識を置いているために、果たしてその研究は科学と呼ぶに値するのか疑問を投げかけている。
大きな問題の一つとして「微調整 (fine-tune)」を上げている。現在主流となっている素粒子の標準模型では実験結果に沿わせるために、定数として1よりも極端に大きかったり極端に小さかったりする数を導入しなければならない。類推するなら、運動エネルギーの公式$${K=\dfrac{1}{2}mv^2}$$には定数$${1/2}$$が含まれるが、この$${1/2}$$の代わりに20桁を超えるような巨大数であったり記述のしようがない無理数であったりが係数となっているようなものである。これは物理学者からすると不自然な数であり、その背後にはおそらく別の法則が隠れていて、その法則によって不自然な値が説明されてくれるはずだ、というのがこの業界のコモンセンスとなっている。
しかし本来科学の手法として美意識を評価基準においてはならない。物理学とは奇麗な法則を学問ではなく、あくまで自然現象を説明するための学問である。素粒子理論が蛸壺化して美麗な数式をこねくり回すだけの世界になりつつあるが、この美意識たるもの果たして信頼に足るか、という疑問を忘れてはならない。
院試を来年に控え、そろそろ研究室を決めなければならない時期である。現在の希望は素粒子論だが、自分がその道に進んだところで面白い世界が広がっているかと問われれば、幾分頭を傾げてしまう。かといって素粒子論を見放すことができるかと言われると、そういうわけでもない。ここ最近の悩みである。