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【読書記録】「患者の話は医師にどう聞こえるのか」ダニエル・オーフリ 原井宏明・勝田さよ訳

ここ数十年の間に医療技術が発達しCTやMRIといった物々しい医療機械が平然と使われるようになった今でもなお、医師と患者との間での問診・診察は重要視されている。されているはずだが、医師と患者のすれ違いは得てして診察に端を発するものだという。患者は自分の病状を医師にわかってもらえず、医師は患者が容体をちゃんと伝えてくれていないと思っている。方向性の違い程度でことが済めば良いが、ことによれば誤診や医療過誤を招く。ではいったいこのすれ違いはどこから生じてくるのだろうか。その原因を医師側の視点から探る一冊。

本書の中で、医師が診察する際に患者との溝を作らない方法として最も強調しているのは、患者の話を最後まで聞くことである。医師サイドから見て、診察において患者の話は冒頭から「主訴」と位置付けられ、第一声から容体の核心をついているものとされる。しかし患者の視点に立って考えてほしい。もちろん「ここが悪いんです」と端的にいうこともある(私はこのタイプである)が、自分の病気が発症した経緯を、場合によってはことの発端から起承転結にのせて長々と話す人も少なくない。医師からしてみれば、前者は「なんで大事なことを言ってくれないんだ」となるし、後者は「いつになったら核心を話してくれるんだ」と苛立つことになる。特にアメリカの国民性なのか違うのか、本書で取り上げられるのは圧倒的に後者である。この場合、起承転結の起の部分で医師は頭の中で病名の特定をはじめ、患者が本題を言う前に診断を下すなんてことになったりする。患者の本当の主訴と食い違っていることがあるのは容易に想像できるが、それにとどまらず患者は「自分の話をしっかり聞いてもらえていない」と思ってしまう。こうして医師と患者の間に距離が生まれ、最後まで患者の話を遮らず聞いていれば必要なかった無駄な検査が省かれ、結果として医療費の削減や時間短縮、医療過誤の減少につなげることができる。また診察自体、医療行為としての効果が高い。本書の中ではこんな特徴的な職業を引き合いに出している。

コミュニケーションは治療本体よりも効果的だったのだ
(中略)
この種の研究は心霊治療士やシャーマン、呪術医など様々な霊能力者が何千年も前から知っていることに対する確固たる裏付けになる——「癒し」のかなりの部分は患者との間に形作られた個人的なつながりからきている。

結局のところ患者を苦しみから解放するには、仁術がものを言うようである。

患者サイドには医師が煩瑣な作業に忙殺されていることを理解してほしい。患者の話から病名を絞り込み、投薬歴を見てどの薬を処方するか判断し、カルテを見比べて既往症の予後が問題ないか気にかけながら、患者の話を聞かなければならない。その患者の数も馬鹿にならない。患者からしてみれば「私一人に集中してほしい」と思って当然ではあるが、医師はそういう患者全員の期待に応えなければならない。どう考えても人間の仕事としてはキャパオーバーである。患者は「医師はこういう生き物だ」と割り切った上で、待合室にいる間に主訴を形作っておき、想像を遥かに超えて忙殺されている医師の負担を(自分の病気に響かない範囲で)減らす協力をするのが望ましい。医師は患者のことについて、ほとんど何も知らないことを決して忘れてはいけない。

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