【読書記録】「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」矢部宏治
戦後日本の安保・原発といった国民の生命に直結しながらも未だ解決を見ない問題に対して、憲法や国連憲章などの法体系や人事システムなどからのアプローチで原因を探る。
現代日本の多くの外交的束縛は、日本がまだ連合国に敵対するかもしれないという思想に基づいており、戦後処理が終わっていない状態が原因になっていると言える。日本における米軍の存在意義は、当然共産圏への圧力及び西太平洋の軍事的拠点という役割もある一方で、日本が再び連合国に反旗を翻したときにすぐさま対処できるようにするため、つまり敗戦直後の軍事占領の延長という側面も強調されている。横田空域などの存在や原発直上での低空飛行訓練もこの発露である。これは国連の敵国条項に基づくものであって、現在なおこの条項を受けているのは世界で日本だけだとか。すなわち我が国は未だ敗戦国である以前に世界の敵国のままであり続けているのである。
同時に、米軍駐留は日本が朝鮮戦争に代表される熱い冷戦の飛び火に備えて要請したものであるとも書かれている。アメリカ側が日本からの撤退を考えていたのにだ。そもそも憲法第9条第2項は元々連合国が構想していた世界政府(安全保障理事会に相当)のみが軍事力の発動権を有する戦争のない世界を目指していた過程で発案されたものであり、朝鮮戦争によってその夢が潰えた時点で改正すべきことだったと言われている。根本を糺せば占領下にあって国民ではなくGHQが立案した憲法を制定し、それを現在に至るまで使用し続けていることが問題なのだが。
対外的なシステムについては難点が多いことは別として、このシステムが国内事情にも蔓延していることも忘れてはならない。米軍基地に関する過度な統治行為論(統治行為論自体にはある程度の法学的説明がされているが、非人道的な米軍基地設置や原発稼働などに関していえば統治行為論を安易に適用するのは不適当であろう)や開示義務のない特定秘密は、国内問題として改善しなければならないことのはずだ(過剰な人権の束縛は国際法より上位の憲法によって禁止されているほか、特定機密の開示期限を設けないシステムは軍事大国アメリカでも実質採用されていない)。砂川裁判は行政から司法まで米軍指導のもとで行われていたとまでいう。
統治行為論は原発にも適用されている。もっと言えば日米原子力協定によって原発政策はアメリカの了解がないと手をつけられないようだ。日本が原子力政策について国内だけで決定できるのは電気料金だけだとか。つまり本来完全な国内問題として日本だけで対処すべき原発運用政策がアメリカの了承なしには動かない外交問題になっているため、司法も統治行為論を易々と持ち出すという仕組みだ。また環境基本法では放射能物質の汚染基準は政府が定めるものとしているが、肝心の汚染基準が設定されていないため、我が国に原子力汚染は原理的に存在しないとのこと。
ここまで読むと、いくら感情を煽るような書き方をしているとはいえ、腹立たしさも一周して落ち着いて読めるようになる。なるほど当時の日本は国際的な処世術として米軍というものを利用したとか、多少の権利と引き換えに安全保障をアメリカに丸投げすることで国力を経済成長に全振りしたとか、スタート地点では善意の、それも機体を上回る良いシステムとして始まった安全保障体制が、戦後数十年の間に暴走している。国家運営の主権をシステムから国民に取り戻すことが求められている。
日本の現状がこうなっているのは何故なのか、がわかればいいと思っており、特に改善のため行動しようと思えないクズ人間なので具体的な行動に移すかどうかは全てお任せする。変なことがあったらその原因さえわかれば満足というのは、本当は良くないことなんだよなと思いながらも、「みんなのために」なんてことに一切興味がわかないので、私を動かしたければ何かの謎を持ってきてくれれば。