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【読書記録】「人新世の『資本論』」斎藤幸平

前々から気になっていたのに加え、野崎まど「タイタン」を読んで新しい経済システムについてより一層考えるようになったこと、また友人に貸してもらえたことが相まって手を出した。

コミュニズムと脱成長

本書の主張として特に強調されているのが、コミュニズムと脱成長をリンクさせたことである。これまでの共産主義はソ連の理想に基づくものであり、五カ年計画に代表されるように平等のシステムの中で経済を成長させようとするものであった。従って組織のトップが資本家から独裁者に代わっただけで、労働者目線では資本主義時代と(理想論で言われるほどには)差がない。

本書で取り上げられているのは成長を前提としないコミュニズムである。経済成長を求めることには、サステナブルな社会を実現することは不可能に近い。

資本が希少性を生み出す

第二に注目すべきは、希少性が資本主義構造を生み出しているのではなく、資本主義システムが気象性を意図的に生み出しているというものだ。本書では資本主義の黎明期における農地収奪が例として挙げられている。

かつて農民は土地を共同で管理し、ポジショニングはあっただろうが「自分の農地でなら何をやっても構わない」という考えには至らなかったことだろう。過剰な農薬を撒いたり連作して地力を衰えさせたりということをする必要がなかったからだ。しかしこれでは農地は金を産まない。そこで資本家は農地を掠奪して農民を排除し、都市へと追いやった。結果、資本家一人が農地から収益を得て、元農民は市街地で路頭に迷う。資本家は私的所有権の名の下に資本の効率性を極度に求めた連作で地力を減退させる。

スポットライトは労働者へ

マイケル・サンデル「実力も運のうち」でも労働者の意識にも敬意を払えと警鐘を鳴らしていた。

本書でも同様であり、筆者が唱える新経済システム「脱成長コミュニズム」の契機となるのは労働者の自主的な経営奪還だとされている。これまで我々は消費者の権利ととはものを要求し、そしてその権利はかなり改善してきているが、その対極にあるのは労働者ではなく資本家であることを忘れてはならない。

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