【読書記録】「カエルの声はなぜ青いのか?」ジェイミーウォード 長尾力訳
古本屋で背表紙に惹かれ、そのまま図書館で借りてきて読んだ。「カエルの鳴き声に色がついて見える」「Oという文字は白い」「absoluteという単語は濃いオレンジの味がする」というような共感覚を紹介し、ここ数十年の研究をまとめる。
共感覚とは上記のような、一見併存し得ないような感覚が実際に誘発される現象である。我々がパソコンやスマホの画面上の文字を捉えることができるのと同じレベルで、共感覚者にはこのような現象が実際に生じている。例えば言葉に対して色を見る共感覚の人間をMRIにかけると、間違いなく脳内の視覚情報を司る部分が活性化する。当然コントロール群を用意し同様の実験をしており、そこではこのような活性化は生じていない。
この現象は学術の世界では(原著出版年2008年時点で)20年ほどしか研究されていなかったらしく、わかっていることも少ない。しかし240ページに及ぶ本を一冊書くことができるくらいには話が進んでいる。
まず我々でも日常的に体験している「多感覚知覚」と絡めて話を進めていこう。味覚はそれ単体で発動されることは少なく、得てして嗅覚とともに働いて「風味覚」とでもいうべきものを感じ取っている。食事つながりで言えば視覚が味に与える影響の大きさもよく知られた話だ。ではなぜこのような感覚のリンクが生じるかというと、脳内の非常に近い部分、場合によっては同一の領域で味覚や嗅覚、視覚の情報を受け取り合成するためである。特に知覚が馴化していない乳児に対して音を発すると、聴覚野だけでなく、大人では活性化が見られない視覚野も活性化する。多少の差はあれど、これと根本的には同じことが共感覚でも起こっているというのだ。すなわち感覚器官から入ってきた情報によって脳は普通以上の広範囲にわたって活性化する。
乳児の話を持ち出すと、同時に考える羽目になるのが「共感覚は先天的なものか、後天的なものか」という問題である。結論をいうと、どちらでもある。まず共感覚の家系には共感覚が生まれやすい。これは先に挙げた「普通以上に広範囲が活性化する」という脳の特質が遺伝的なものであるからとされている。一方でそれによって生じる共感覚の中には冒頭で挙げた「absoluteという単語は濃いオレンジの味がする」というものにも見て取れるように、後天的な因子も間違いなく含まれている。また普段共感覚を持っていない人間でもLSDなどの幻覚剤によって短時間の間は共感覚を獲得することができるのも、共感覚の後天的性質を補強するものである(というより共感覚のポテンシャル自体は我々全員にあって、それを発現するかはまた別の話、と捉えるべきかもしれない)。
ここまで共感覚を持たない人間からの視点で話を進めてきたが、共感覚を持つ人間からすれば、標準的な知覚もまた理解し難いものだという。小学校の国語でこのような感覚の文章を「哲学の文章」として読まされた記憶があるが、そのような「正解の見出せない問い」を考える必要もない知覚の研究があることを知れた。