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【読書記録】「古代哲学史」田中美知太郎

イオニアの自然哲学以降を概観している。

タレスの「アルケーは水」という議論の意義は「すべての根源は水である」としたことにあるもではなく、「全ては水によって生成され、全ては水へと分解される」という、ものの始まりと終わりを合わせて考えたことにあるという。

アトムの考案の動機は次のとおりである。それまでの哲学では、言語に沿って論理的に考えると「ないものはない」(虚無は存在しない)というのが妥当だったので、ものとものの間に間隙はなく、全ては一つの連続体と考えられていた。しかしアトム論者はこの前提を覆して「ないものはある」(空虚は存在する)と考えた。すなわち空虚は一と多を分割する間隙であって、空虚によれば分割が可能である。しかしこの考えのまま発展すると、物体は無限に分割が可能となり、無限分割された物体には大きさが存在しないから、大きさの存在しない物体の集合として大きさが存在するというパラドックスに陥る(このパラドックスの解消は数理論理では読者ご承知の通りである)。ここで「分割可能回数には限りがある」すなわち物質の最小単位としてアトムを考案するに至る。

興味に残ったのはこんなところだろうか。後ろ2/3は哲学を研究する人向けだったのでほとんど読んでいない。前半だけで十分すぎると思う。

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