【読書記録】「坂の上の雲」司馬遼太郎
この国の文明開化の始まりを黒船来航にとるのが世間の流儀だが、その終わりを設けるとするならば日露戦争だろう。外圧の発現によって始まりを見せる激動の半世紀は、外圧の収束によって終わりを迎える。その最後にして最大の外圧こそロシア帝国の侵略であった。
ロシアには巨大な怪物が住んでいる。栄枯盛衰するどの時代をとってみてもそんな印象がある。普段はおとなしいが無尽蔵な力を秘めており、何かの節に暴発して厄災を振り撒く気がする。土着信仰における神に近しい。明治日本に意図があったかは別として、日本は朝鮮でロシアに触れてしまった。民草にとってみれば、ロシアは祟って然るべきである。
日露戦争がその史実と裏腹に我が国の完全勝利のように印象付けられているのは、一つには日本海海戦の完封もあるが、荒神ロシアの撃退によるところが大きい。加えて日本列島に露軍を踏み入れさせなかったのが印象を強くしている。
現に列島を遠く離れて旅順奉天に展開した陸軍の戦況は決して芳しくなく、あと半年戦闘が続いていたら、圧倒的物量を誇るロシア陸軍を前に日本は壊滅していただろう。陸軍が底をつけば海を渡るだけで日本陥落へ一直線である。我々には虚空の海を鉄壁と思う節があるようで、満州での消耗をつい過小評価してしまう。
陰鬱として然るべきロシアの侵略を前にして、司馬遼太郎の小説はなぜか前途希望に溢れている。史実を見れば以降日本は政略面で驕りと後退の一途を辿るが、この男の筆にかかると底知れぬ喜びの世界が待ち受けているように思われる。
いつからか我々は未来を無条件に全肯定することができなくなってしまった。傲慢になるよりは健全かもしれないが、そのような落ち着き方には寂しさを覚える。とはいえ楽天主義は、あたかも戦時の理由なき高揚を懐かしむようで、やはり避けるべきものかもしれない。