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【読書記録】「海賊の経済学」ピーター・T・リーソン 山形浩生訳

義足に眼帯、義手にはフック。ぼうぼうに伸ばした髭と肩にはオウム。船には髑髏に交差した大腿骨。海の上の荒くれ者で、船を襲っては掠奪や殺害を繰り返す。陸に上がってはどんちゃん騒ぎ。海賊のステレオタイプといえばこんなものだろう。しかし、そんな海賊も18世紀にしてはあまりに民主的なルールを敷いていたとしたら。本書はそんなあまりに意外な組み合わせを論じている。

船長の権限とプリンシパル・エージェント問題

社会において、どうしてもリーダーは必要である。まして商船を相手に戦闘行為を行う海賊船にあっては、突撃・退却といった指令を瞬時に発する存在が必要になる。海賊船の船長といえば残虐極まりなく船員をこき使うような奴ら。そんなステレオタイプが、果たして正しかったのだろうか。

商船の船長と水夫

比較のために、まず当時の商船の様子から見ていくこととしよう。商船では一般に船長が過剰な権力を横暴に振り回していた。船長自らの利益のために水夫を痛めつけることを厭わなかった。

その理由を本書ではプリンシパル・エージェント問題で説明している。まず商船の実際の持ち主は船長ではない。陸上の投資家であった。投資家はその稼業からして陸上にいる方が実入りが大きかったので、船の運用は基本的に他人に任せる。だがこの「他人」がしっかり仕事をしてくれるかは話が変わってくる。座礁したと嘘をついて荷物や貨幣を着服するかもしれない。港についても商売をサボるかもしれない。そこで投資家たちは、船長も投資家の列に加えることによって、船長の怠慢を防いだ。船長と投資家の利害を合わせることによって、投資家にとって有益に船が運用されるようにしたのである。

しかしこのとき水夫のことは度外視されている。投資家連中からしてみれば水夫は船上の食事などを食い潰すコストであり、航海に必要だから仕方なく乗せているにせよ、上述のように着服・怠慢・詐称の恐れが残る。そこで投資家は船長に絶対的な権力を与え、投資家にとって不利益となる行動をとった水夫に対して「それ相応の」処罰を与えることを許していた。

海賊船の船長と水夫

一方の海賊船である。海賊船は商船でいうところの投資家がいない。船は他所で奪って来たものであり、戦利品の分け前を船に乗っていない誰かに取られることもなかったからだ。また合法的な商船と違って、海賊の罪は死刑を持って償われるものであり、戦闘によるリスクも常につきまとう。もし商船と同じく海賊船でも船長の横暴な独裁が認められていたら、誰がその船に進んで乗ろうというのか。

そこで船長は水夫と利害を一致することになる。水夫は海賊行為というリスクを受ける代わりに、船長には船員全員の利益を要求した。結果として、船長を選出する方法は民主国家以上に民主的となる。船長は演説によって有権者(基本的に全ての乗組員に投票権が与えられた)に自分を支持するよう説得し、船員は投票によって船長を選出する。さらに船長が弱腰だったり戦利品を着服していたりしようものなら、船員が船長を解任して島流しにする。船長は船員の利益となるよう行動せざるを得ず、船長の生活は船員の中でも最低だったという記録もあるほどだ。

権力分散

プリンシパル・エージェントの色合いは薄いが、船上の民主制を強調するために是非とも紹介しておきたい役職がある。クウォーターマスターだ。

船長は戦闘と進路についての権限を有するが、クウォーターマスターは戦利品の分配や争いごとの調停といった、戦闘と進路以外の決定権を有している。クウォーターマスターも船長と同時に船員全員の選挙によって選ばれ、やはり解任・島流しの恐れを抱えていた。従ってクウォーターマスターも船長同様船員の利益を最大化するように行動した。三権分立とまではいかないまでも、分権というシステムが海賊船上で存在していたのは非常に興味深い。

無政府状態におけるガバナンス

ホッブズのリヴァイアサンでは無政府状態を「万人の万人に対する闘争」と表現して、アナーキーにおいては無秩序が広がるとしている。海賊は国家に対する反逆であり、海賊となることは同時に国家の法の埒外に出ることであった。すなわち海賊船上は無政府状態である。では船上は無秩序だったのだろうか。

強力な海賊の掟

むしろ逆である。海賊は政府に頼ることができないからこそ、自らの中に厳格な「海賊の掟」を設けることとなった。無法者の船をまとめ上げ、共同体としての利益に資するようにするためには、内部での強力な法を必要としたのである。貨幣一枚でも着服しようものなら無人島置き去りである。

軽微な行為については先にあげたクウォーターマスターの一存もしくは船員全員による投票がかけられた。ここでも強力な民主制が敷かれている。共同体の全員が互いに顔見知りとなる最大人数が俗に200人と言われるが、海賊船はその条件をクリアしていることが多い。この点でも海賊船は徹底的に民主的システムを履行する素地があったのだろうと考えられる。

掟には掠奪品の取り分も書かれていた。これによってクウォーターマスターが戦利品を誤魔化したりできず、権力濫用の防止に繋がった。取り分はとにかく公平である。最高額の船長やクウォーターマスターでも一般の船員の二人分くらいであり、商船の船長と水夫の取り分の差が数十倍にも及んだことを考えれば、どれほど船員の利に資するシステムになっていたかがわかる。また、もし取り分に大きく差が出ていれば、取り分の多い集団は早々に掠奪を切り上げて陸に上がろうとするだろうが、少ない集団は「元を取る」ために掠奪を続けたいと思うだろう。この意識が揃わないと戦闘がうまく運ばないのは目に見えている。

怪我に対する保障、いわば「労災」についても規定されていた。まだ船員に分ける前のプールした掠奪品から怪我の大きさに応じてあらかじめ補償金が与えられる。こうすることで船員が戦闘を尻込みする負のインセンティブを減らすことができる。また似たような効果を狙ってボーナスや減給をすることもあった。一番に掠奪対象の船を見つけた船員には掠奪した中から一番上物の銃を与え、最も勇敢な戦士には投票によって報奨金が与えられる。逆に手を抜けば投票によって分け前を減らされるかもしれない。かくして船員のフリーライドを防ぐ条項も掟には書かれていた。

掟は全会一致で定められる。船員全員が何ヶ月にも及ぶ航海を掟の下で過ごさなければならない。一人でも反目するものがあれば、そこが喧嘩の火種となって、甲板を損傷したりしかねない。最悪、仲間を海軍に売ることになりかねない。また掟違反があったときにすぐに発見でき、法の執行プロセスが全員に可視化される。海賊船運用に当たってはこの作用のなすところは大きい。

政府と秩序

本書ではそのシステムの説明を政府 (government) と統治 (governance) によっている。政府は警察や徴税、軍事といった武力・実力に基づく逃れることのできない束縛である。国家の法律が気に食わないのであれば、その国を出ていくしかない。しかし国を出るという選択肢は決して穏当なものではない。「金をよこせ、殺すぞ」と言われてそこに選択肢があってないようなものであるのと同じである。一方でマンションのルールは統治に分類される。マンションへの入居にはルールへの承諾と遵守が要求される。不満があるならよそのマンションを選べば良い。

海賊船は政府に頼ることができなかった。しかし無法者をまとめ上げることができなければ、徒党を組んでの戦闘や掠奪行為は概してうまくいかない。略奪という共通の目的に全員の意識を向けるために、海賊の掟という統治は必要不可欠なものであった。

海賊のブランド戦略

ドクロのマークは…”信念”の象徴なんだぞ

ONE PIECE # 148(尾田栄一郎)

まさか掠奪集団の海賊が信念を持っているとは思われない。ではなぜ海賊はドクロなんかを掲げたのか。

海賊は戦闘がお嫌い

海賊が海賊旗を掲げる理由を理解するには、まず海賊が戦闘を避けようとしていたことを念頭に置く必要がある。ステレオタイプからしてみれば意外に思われるだろが、「もしも海賊でなければ」を考えれば至極当然の帰結だ。戦闘によって死者が出るならまだしも、負傷者が出たら先にあげた労災を払わなければならず、分け前が目減りする。船が破損すれば今後の航海にも支障が出る。

ちなみに「海賊の掟」には「船上での喧嘩は許されない」という条項もある。これも喧嘩によって船体が破損し航海に支障をきたさないようにする目的があってのことだ。いざこざが起こった場合は岸に降りてクウォーターマスターの立ち会いの元決闘を行う。あくまで「船体を傷つけるから」喧嘩はご法度なのだ。同じ理由で弾薬室でのタバコ、喧嘩を助長する賭博もアウトだった。

そんなわけで海賊は戦闘が嫌いであるが故に、標的には抵抗して欲しくなかった。では海賊が標的に取った行動はどんなものか。

抵抗されたら容赦なく

海賊が徹底的に利用したブランドが、恐怖であった。ジョリー・ロジャーと呼ばれるかの有名な意匠は、抵抗した者への警告であり、すぐに降参するよう呼びかける印であったのだ。抵抗しようものなら、凄まじい拷問が待っている。ある海賊は標的の船長に己の臓物を食わせたというから、なかなかいい趣味をしている。南波長介もこれには感服だろう。

そいつの刺身をくわえさせたあの日々人の奇行を
ワシはあの時「日々人こいつはダメだ」と思った

宇宙兄弟 #250(小山宙也)

また宝のありかを隠すような受動的な抵抗も拷問の対象となった。

しかし仮に抵抗しなかったとしても拷問を受けるようであれば、商船からしてみれば抵抗しない理由はない。

無抵抗なら慈悲を

そこで海賊は抵抗せず宝のありかを正直に教えた船員を徹底的に優遇した。船長に対しては前述したように恨みがあって拷問を与えることも多かったようだが、船員が拷問しないよう懇願する「よき船長」についても穏当に扱った。また欲しいものを奪ったら解放し、噂を広めてもらうようにした。

こうすることで「抵抗されたら容赦なく、無抵抗なら慈悲を」のスタンスはクチコミで人口に膾炙されることとなる。結果、船が海賊船に出くわしたらすることはただ1つ。抵抗しないで降伏することだった。

船の上の平等

自由な黒人

全世界で奴隷制が公然と行われていた時代にあって、海賊船の上では(少なくとも商船に比べればずっと)黒人は白人と同じ権利を持つことが多かったと言えるようだ。先にあげた選挙権も掠奪品の分け前も昇進の可能性も、白人船員と同様に与えられていたらしい。また海賊船のおよそ3割は黒人だったというから驚きである。

奴隷制がまかり通っていた中にあって、一見すると海賊の便益を向上させるには黒人を奴隷として使った方が利にかなう気がするだろう。しかし実際に黒人を奴隷として働かせた場合に得るメリットとデメリットを比較してみると面白い。まずメリットだが、上述の通り海賊の分け前は掟によってフラットにされていた。従って奴隷によって得られる便益もフラットに分け与えられる。船員がn人いれば一人一人が受け取れる便益は1/nだ。しかし奴隷が自分の境遇からあまつさえ仕事に手を抜き、さらには海軍に海賊仲間を売ったとする。この時船員はみな絞首台送りとなる。そのリスクは全員が死刑という形で負っている。仲間を海軍に売る者が現れるのを防ぐ目的もあって、掟には全会一致としたにもかかわらず、奴隷に売られてはたまったものではないだろう。

さらには当の黒人が船に必要不可欠な知識を身につけていた場合は何がなんでも引き止めておきたい。例えば航海術や船大工の腕があれば、船にとっては死活問題となりうるわけだから、是非とも止まっておいてほしい。そのためなら自由人の資格など安いものだ。

ただ弁解の意味も込めて、海賊が黒人を全く奴隷にしなかったわけではない。奴隷市場にリーチできるのならば、商船や奴隷船などで奪ってきた奴隷を売り飛ばすことに躊躇いはなかっただろう。

あくまで特例

ここで挙がっている例は「海賊にはこんな奴もいた」ということを示すためのものであり、須く海賊がこのような立憲君主制を敷いていたわけではないことに注意されたい。本書の訳者後書きでも記されている通り、抵抗しない被害者に対しては残虐な行為をすることはなかったとされているが、実際には海賊の卑劣な行為は日常茶飯事である。

この本は「海賊とはこういうものである」というのを題材にしているのではなく、「無法者の海賊でさえ、放っておけば利潤追求のために異常なまでのルールを作り上げることがある」という点に主眼を置いているものとみてほしい。歴史の本ではなく経済学なのだ。

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