【読書記録】「翔ぶが如く」司馬遼太郎
『竜馬がゆく』『坂の上の雲』と合わせて幕末・明治の超大作を成す。
優しいデブ、西郷隆盛。大河ドラマを流し見し、その記憶すら消え去った自分には、この程度のイメージしかなかった。
鹿児島へ行けば県をあげて西郷を全押ししている。学部2回生で鹿児島を旅行したとき、日当山西郷どん湯で1泊した。畳の部屋に素泊まり1泊1500円という破格で、後に人に紹介したら爆笑された記憶がある。日当山は明治六年の政変で下野した西郷が鹿児島各地を狩猟で回る中で度々寄った温泉とされる。少し立ち寄った程度の温泉であっても、さも故郷かのような厚顔で西郷を語るのだから、その人気の高さが知れる。
一方で子供の頃から西郷と肩を並べ、いや明治政府の創立という意味では西郷よりも負うところが大きい大久保利通は、当時も今も人気に劣る。かくいう私は、頭では大久保の方が仕事をしていると思っているが、論理を超越したところで西郷贔屓をしてしまう。
この本を読めば、優しいデブの印象は大きく変わる。ジョージ・ワシントンを見習って革命家であろうとしたし、事実革命家であった。西郷のために命を惜しむものが少なくなかったが、西郷も士卒に「ここで死せ」と言った。現代の我々が考える優しさとは様相があまりにも異なる。幕府を廃絶し、傍目から見れば武士の世を終わらせた西郷だが、薩摩武士を愛することを止めず、その再興のために征韓論を持ち出した。しかし藩外の武士には気にもかけず、特に薩摩のみを贔屓した。我々の尊敬に対して西郷から与えられる愛情にはだいぶ偏りがある。
きっとまた、西郷は現代の感覚で捉えられるような、無条件に優しいデブに逆戻りして、再び西郷の実態を見ては驚き、西郷を考え直させられることになる。大久保や川路といった他の主人公もそれぞれ薩摩的英雄に数えてしかるべきだが、この列伝の中でも西郷だけはやはり異色だった。