【読書記録】「項羽と劉邦」司馬遼太郎
秦末のこと、史上初の中華統一を果たした始皇帝が大陸を巡幸し、その破格な権力と裏腹に至って人間たる容貌を人民の前に晒したことに始まる。嬴政の顔から高貴や英傑の相を誰もが読み取ったであろうその群衆の中に、始皇帝とて俺と変わらぬ人間であると思ってしまった者がおり、その中に血を欠いた法治国家秦を滅して革命を起こそうと企む英傑の卵がいた。
この大陸において、英傑とは我々が考えるように軍を先導する勇猛果敢なる人間という以上の意味を持つらしい。流浪の民を食わせる力こそが何にも増して権力と羨望の源泉になったようである。村で飢餓が発生すれば村民は流民となって山河を漂い、穀倉を見つけては奪って食を繋いでいく。どこそこでもっと食わせる頭領がいるらしい、そんな流言飛語に任せて、より食わせる力のある頭領の元へ流民が集まる。最後は中華全土の流民をまとめて帝国を形成するまでに至る。秦末にあっては流民の発生の発端が飢餓ではなく度外れた法治からの逃走だったが、その後の大勢は上述の通りである。であるからして大陸を二分するまでになった頭領項羽と劉邦の対立も、佳境に入った広武山で穀倉を抑えたまま微動だにしなかった劉邦が百敗の敵項羽に快進撃を見せる直接の原因となるのである。劉邦は軍の前線へ出て指揮をしていたとはいえ、項羽に対しては四面楚歌を以てでも完勝することができなかった。漢帝国を成したのは、武勇と言えば何もなく、ただ度量の深さだけが売りである地方のチンピラだったのである。
三分冊を通じて我々日本人が抱くであろう感想を、後書きの冒頭に名文で表してくれている。
アヘン戦争や日清戦争といった中華の零落を経てもなお、我々日本人に残る中華大陸への羨望を抱き続けている。コンビニに屯するチンピラの人気者に過ぎなかった劉邦が、圧倒的な規模の中華大陸を統一するという天の気まぐれな采配に、我々日本人は意外性を感じずにはいられないのだろう。