【読書記録】「ノモンハンの夏」半藤一利
歴史物の割に主観が多いのが半藤一利の特徴なのかもしれないが、それを覆い尽くさんばかりの情報量で読者を圧倒してくる。かえって著者の主観表現のおかげで、歴史を傍観するだけの虚しい存在から引き戻してくれる。
第二次大戦は日米戦が主眼として語られるが、地味なりに中国大陸での戦闘も歴史に幅を利かせている。特に初期における戦闘が、このノモンハン事件である。個人的に、この時期の軍閥の動向には弱いので、以下誤謬を垂れ流すかもしれない。
事件は満州とモンゴルの国境が不明確であることに大きく依っている。話がこれだけなら外交で多少揉める程度だが、モンゴルの背後には徹底的秘密主義ソ連がついており、全面的に援助している。加えて時期は日独伊三国同盟の締結直前である。しかし輸入の多くはアメリカに頼っている。着実に超大国への道を進みつつあるアメリカを敵に回すことは避けたい。同盟締結が成って一触即発の欧州で戦闘が勃発すると、ただでさえ少ない軍事力を遠い欧州まで派遣しなければならない。終盤にはソ連とドイツが不可侵条約まで結び始める。
欧州事情が複雑怪奇なだけでは話が収まらない。国内は反英・反米気質が強い。軍部大臣現役武官制のために、内閣が半ば陸軍に専横されて政策実行は困難となっている。現場関東軍と三宅坂参謀本部、三宅坂と内閣・天皇との間で意思疎通もろくにできない。さらには意図的に情報を隠蔽、統帥権干犯までする始末。当然責任所在も明確でない。
こうした事情が重なってノモンハンの戦闘は延びに延び、莫大なる犠牲と領土を払うことになる。
当時の日本人の気質として、理想が高ければ統帥権干犯をも許す風潮があった。事後処理ではノモンハンでの戦闘を事実上指示した関東軍の参謀が栄達を続けることになる。
我々は崇高な理念を掲げ実行する人に弱い。この性格はきっと今でも変わっていない。責任所在が不明確なのも相変わらずである。国民的性格を意図的に大きく変革する抜本的な手段は基本的にない。ここ数十年でノモンハンは再来するだろう。その時、せめて青年に、それでも裁きを下せる人にならなければならない。