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【読書記録】「月と六ペンス」サマセット・モーム

サークルで提示された課題図書。いくつかある中で古典的(と言っていいのか微妙な時期だが)名著として名前を知っていたので、これを読んだ。

どういうわけかゴーギャンをモデルにした画家ストリックランドには、作中の立ち位置以上にあまり印象を持たなかった。「ゴーギャンを描く」というテーマの割にストリックランドの登場回数は多いものではなかったし、比較的に感情をあまり表に出さない人間であるから、どうしても他の登場人物に目がいってしまう。構成にしても物語前半はミセス・ストリックランドの悲劇、中盤はストルーヴ夫妻の愛憎で、ストリックランドは登場するにしてもかなり脇役であり、物語後半ではストリックランドは既に死んでいる。全ての場面でストリックランドがリンクしていると考えれば確かにストリックランドの人生譚ではあるが、それ以上の役回りを中盤まで演じることはなく、加えて周りの人間のキャラが濃すぎるせいで埋もれかけている。

物語中盤、どんなに自分が損をしようと善意を尽くすダーク・ストルーヴと、夫への妄信が徐々に氷解して(もしくは長らく隠していた不信が表に現れ)善人の化粧をしっかり落としたブランチ・ストルーヴのキャラが強い。特にダークに対しては、善い行いをしているはずなのに無性に腹が立つ。ストリックランドに便乗するだけとわかっていながらも、またそれによって自分の気分が悪くなっていることを自覚しながらも、馬鹿の一つ覚えで善意を施す姿からは幼稚さすら感じられ腹立たしい。本来なら怒りの矛先はダークの善意を恣にしているストリックランドに向けられるべきだが、ストリックランドがダークの好意に便乗するのは当然なので、矛先を向けられる相手がダークしかいないのだろう。

アトムは完全でない。なぜなら悪い心を持たないからだ。

この手塚治虫の言葉を鵜呑みにするのであれば、ダーク・ストルーヴには重大な欠陥があった。無条件の善意を人間性の欠陥らしい。一方でブランチ・ストルーヴは、元はダークと同じく善意の塊であり毛嫌いしていたが、ストリックランドへの包み隠すことのできない嫌悪感がみえるや否や、血の通った人間であることを実感できるようになったのだ。もう1つミセス・ストルーヴの化粧が落ちた場面を挙げるとすればここだろう。真の芸術は凡人に理解できるものではないというダークの言葉に対して

じゃあ、聞くわ。最初にあなたの作品を見た瞬間から、すぐに私は美しいと思ったわ。あれは一体どうしてなの?

この心酔しきった信頼が崩れ始めるセリフが、どうしても後を引く。

中盤まではどうしてもストリックランドの話とは思えなかった。どこまでも脇役止まりで、ミセス・ストリックランドやストルーヴ夫妻の描写があまりに詳しすぎる。もちろん登場人物を増やし詳らかに描くことで物語の深みは増すが、それだけを目的とするなら、この話がミステリーになるのを覚悟の上で、生活様式以外に特段見栄えのないストリックランドは記述を減らして人物像を隠した方がより面白くなる。特にこの小説を読む限り、その目的のためならサマセット・モームは作品をミステリーにするのを厭わなかっただろうと予想できる。実際役回りの少ないキャラはほぼ名前の紹介でしか登場せず、記述も必要最小限にとどめられている。それなのに、なぜ中途半端にストリックランドを登場させるのか。

この疑問が解決したのはタヒチの回顧録である。

この遠隔の土地では、故郷で白眼視されていた彼が、嫌われもせず、どちらかと言えば好感を持たれていたということである。

なるほど、これを文字通り受け取れば「変人には受け入れられる場所がある」ということだろう。もちろん聞こえはいい。ストリックランドはイギリスやパリでは鬱々と暮らしており、痩せ我慢でもしているかのように「これでいいのだ」と自分に言い聞かせているようにみえる。しかしタヒチでは街から離れたところに居を構え理解ある伴侶を得て気の赴くままに絵を描いていた。聞こえはいいからこそ、疑いたくなる。果たして本当にそうだろうか。パリにいた頃のストリックランドと比べると、タヒチでの姿はあまりにも丸くなりすぎている。パリでなら(イギリスに嫁を残しているという前提を度外視するにしても)新しい娘を紹介されたところで絶対に首を縦には振らなかっただろう。島の奥に住処を用意されたところで、頑なに断るはずだ。どんな相手にであれ絵を渡さないという設定も崩れている。実情は「優しい周りが受け入れてくれた」なんて生やさしいものではなく、「周りが受け入れてくれるように自分が丸くなった」といったところではないか。そして皮肉にも丸くなったおかげで家の壁面に人生最大の力作を描くことができた。題名の月と六ペンスはそれぞれ理想と俗物に対応するという解説があったが、変人が仕事をするには多少の妥協とそれを許す環境が必要だというのを読み取るべきではないのだろうか。

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