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家庭医のヒヨコ、療養する- 3. やる気スイッチに鈍器で殴られたような

いま改めて思うけど、自分は本当に家庭医という仕事を楽しんでいる。
職場にいる時間は、自然にスイッチが入るのだ。
そしてこれもまた改めて思うが、昔からスイッチを入れている間はその時出しうる最高のパフォーマンスを出すことができたし、自分の疲れや不調を自分からほぼ完全に隠すことができてしまっていた。例えば救急の夜勤に入っていた時は診療中だけスイッチを入れて、合間はスリープモードに入る、という風に体力を調整していた。
便利だけど、これが後々、自分の最大の課題になってしまうのだった。

診療後の不調が増えるようになってから3週間、7月の終わりまで週2日間、午後だけ働いた。まるっきり休んだ方がいいと言われたが、私は外来と訪問を続けたかった。
その時は仕事ができているつもりでいたが、振り返ると当然、普段の動きはできていなかった。
それでも、本当に動けなくなるまで「自分は長めの休みが必要だ」ということを認めることができなかった。
スイッチを完全に切ってしまったら、もうオンに戻すことができなくなってしまうのではないかという不安があったのだと思う。

7月の終わりのある日、自分の予約外来が始まる時間から偏頭痛発作の始まりを感じていた。
その時点で一度手を止めて、いつも偏頭痛の時に使っている薬を飲めばよかったのに、それもしなかった。
拍動する頭痛が完全に現れた中でも、午後の診療を続けた。私の偏頭痛は眩しい光で悪くなる(これには個人差がある)のだが、診療の後半に差し掛かると診察室に思い切り西日が差し込む。最悪だった。患者さんのお嫁さんに対する愚痴も入ってくるようなこないような。

後日、その時のことをメンターと振り返った際、「判断能力がかなり落ちていたんだろうね」と言われた。その通りだと思う。その日の診療自体は大きく動くこともなかったから良かったものの、今思うとなぜそんな状態で診療を続けようと思ったのか。悪手に他ならない。しかし私は私のやる気スイッチを外来途中に数秒でも切ることができなかった。

その日の業務が終了してからも、頭痛はどんどん悪くなっていった。
私の偏頭痛は右前額部、右眼窩周辺に最強点が固定されている拍動性の痛みが特徴であり、毎回鈍器でリズミカルに殴られている感じがする。吐き気を伴うことはほとんどない(個人差がある)が、この日は吐き気もひどく帰宅したらベッドから全く動けなくなった。そしてなんと薬を切らしていた。そして夫はこの時期僻地ローテーション中で1時間半離れた山間部で診療にあたっていた。あまりに状況が最悪だったので泣いた。

結局、夫の勤務終了時間に電話をした。夫は翌日の有休と薬を確保して帰ってきてくれた。
夫には休職中も、もちろん今も、完全に寄り掛かった状態で療養生活を過ごしている。学生の頃、結婚とは書類上のやり取りであり、どちらかの苗字が変わるだけだろうと舐めていたが、形式は問わないにしても持つべきものは全幅の信頼をおける元気な伴侶であるとつくづく思う。

ちなみに冒頭から書いてきたスイッチ云々の話は、当時考えていたことではなく、最近メンターと振り返りながら、主治医と話しながら自分の中で整理されて出てきたものだ。
元気な時は便利に使っていたものが、病気の状態では自らの身を削るだけのものにいつの間にか変わっていた、と今は解釈している。
当時はこんな風に冷静に考えることはできず、ただ「今日働いて、明日休む」という一日ごとの歩みを進めることしかできなかった。それを、そんな状況を私の代わりに理解して半ば無理やりにでも歩みを止めてくれたのは周囲の人たちだった。
イントロでも書いたが、病気と向き合うにあたってこんなに恵まれているし、恵まれていてもしんどいものはしんどいことに変わりないとも思う。

話がずれたが、やる気スイッチの暴走による人生最悪の偏頭痛発作をきっかけに休職は「提案」から「指示」に変わり、8月上旬には勤め先の産業カウンセラーと面談するはこびとなった。

トップの絵は初期研修の頃に描いた、今回の出来事とはあんまり関係ないものです。


*本文はいち患者の経験談であり、うつ病診療に関する一般的な情報を提供するものではありません。
*NOTEやtwitterで個別の医療相談はお受けしておりません。ご自身のこころの病気について気になることがある方は、厚生労働省のホームページ(https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_depressive.html )などを参照されるか、お近くの医療機関への受診をご検討ください。

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