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家庭医のヒヨコ、療養する-6. 麦茶とセロトニンと私

仕事も家庭も順調で30歳なりに人生をエンジョイしていた私は、昨年の6月頃から働くと具合が悪くなるようになってしまい、医師業は愚か食事・睡眠もままならなくなった。
8月に内因性うつ病(特に原因なく発症するうつのこと)と診断され、休職すると共に抗うつ薬、睡眠導入剤の内服が開始となった。副作用に慣れるまで1週間ほどかかったが、その後はただひたすら休むだけの時間が始まった。

学生時代にも一度、受診には至らなかったが長めの休みを要した期間があったことを思い出した。数週間の出来事だったけれど、その期間の記憶がすっぽりと抜けてしまって、私がその時間も人として存在していたことを私自身が証明できないことにショックを受けたのだった。

今回も、療養し始めのことはきっと忘れてしまうだろうと思った。そのため、1日数行でも手帳に記録を残し、人生でそう何回も訪れて欲しくない時間をどう過ごしたか後で見返せるようにした。

発病から約1年経ち、振り返ればやはり休み始めた頃の記憶はない。
この記事のために手帳を見返すと、記憶がない理由がすぐにわかった。最初の1ヶ月間は、ほぼ毎日15時間前後寝て、起きている間もはっきりと意識があったのは1-2時間程度のようだった。そら覚えてないわ。手帳に睡眠時間を書く体力すら惜しかったのでは。

「悲しい」「死にたい」といった気持ちは起こらなかったが、「無」の時間が多かった。
家にいる時は、薬の副作用で口が乾くため、常に麦茶を手元に置いて1日2-3リットル飲んでいた。そのためトイレにも何回も行った。9月半ば頃まで、自分のことを「飲んで出すだけの生き物だなあ」と思っていた。
時々、夫が気分転換にと外出に付き合ってくれたこともあって、そのときは活動できていたし写真には笑顔で写っているけれど、翌日・翌々日はぐったりして過ごした。

とにかく何をするにも体力が足りず、また使ってしまった体力を回復させるのに時間がかかった。ただ、元々のパフォーマンスが落ちたわけではなく、例えば大学院の課題(なぜか休学せず粘った)や依頼されていた原稿の執筆(なぜか以下略)を、1日の中の意識がある時間に少しずつこなしていくことはできた。
当時書いたものを今読み返しても特に成果物のレベルが低いとも感じないので、本当にエネルギーの枯渇だけで人はあそこまで機能しなくなるものか、と思う。

1日のほとんどを寝て過ごした期間は自分が思っていた以上に長かった。
9月後半には、毎晩10時に寝れば昼前には覚醒するようになり、少しずつ改善を実感できていた。10月、11月と季節は移ろう中、午前中にも意識を保てる時間が増えた。

突然話が変わるが、うつ病の病態生理は簡単に言えば脳内物質のセロトニンが枯渇しているという仮説が今最も有力だ。つまり足りない分のセロトニンを補う(正確には出ているものの動きを制限する)薬を飲み、十分休めば徐々にセロトニンが復活してきて活動できるようになる、という理屈のもと治療する。
特に意味はないが、ぐったりしていた時期は医者らしく(?)「ああ〜セロトニン枯渇〜〜〜」と思っていたし、周りにも「枯渇してるね〜」と言われていた。
専門職って群れると自然と気持ち悪くなるのだ、わかってほしい。

ともかく、枯渇すると不調になる物質があるならば、回復している時にはきっと溜まってきているのだろうと考えるのが自然だと思う。
11月頃の私は、「セロトニンって測れないのかな」と1日1回は思っていた。
なんとなく、セロトニンが戻る=職場に戻れると思っていたのだろう。

当時は頑なに認めなかったが、私は焦っていた。
パフォーマンスが落ちていない分、セロトニンさえ、体力さえ戻ればなんとかなる、年明けには元の生活に戻れる、といつの間にか思うようになっていた。
元々目に見えないものにすがるタイプではないが、この頃は見ることも測ることもできない、仮説上の病態に基づく治療が「効いている」と信じ、自身の回復度合いを過大評価していた。

こうして自らを過信していたことで、思い返せば結果オーライだけど、まあまあ辛いことになったのだった。
続きは次回。

*本文はいち患者の経験談であり、うつ病診療に関する一般的な情報を提供するものではありません。
*NOTEやtwitterで個別の医療相談はお受けしておりません。ご自身のこころの病気について気になることがある方は、厚生労働省のホームページなどを参照されるか、お近くの医療機関への受診をご検討ください。


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