ベーシックインカム導入が奪う不毛なゲームの機会
ベーシックインカムという言葉を耳にすることが増えています。働かなくても最低限の収入が保証される仕組みとして注目されています。理論上、これにより多くの人が経済的な不安から解放され、自由な時間を得ることができます。しかし、このベーシックインカムの導入には、想定されるメリットとは裏腹に、私たちの社会に深刻な問題を引き起こす可能性があると私は考えています。
不毛なゲームとは何か
まず、「不毛なゲーム」という言葉について説明したいと思います。これは、人々が本当に満たされているわけではないのに、社会的なルールや期待に従って行動することを指しています。例えば、職場での無意味な競争や、他人と自分を比べて優越感や劣等感を感じることです。こうしたゲームは、表面的には意味があるように見えても、実際には心を満たすものではなく、むしろストレスや疲労を生み出します。
多くの人が、こうした不毛なゲームに囚われています。日々の仕事や社会的な役割の中で、無意識のうちにこのゲームに参加し、自己評価を他者の評価に委ねてしまうのです。
ベーシックインカムがもたらす新たな問題
ベーシックインカムが導入されると、多くの人が働かなくても生活ができるようになります。それ自体は素晴らしいことのように思えるかもしれません。しかし、問題はここからです。仕事をしなくなることで、これまでの「不毛なゲーム」に参加する機会さえ失われる人が出てくるのです。
職場での不毛なゲームは、少なくとも何らかの形で他者との関わりを持つ場を提供していました。そこには、たとえ表面的なものであっても、ある種の社会的な承認や自己評価の基準が存在していました。しかし、ベーシックインカムによってその機会が失われると、多くの人が社会的なつながりや承認を得る場を見失ってしまうかもしれません。
代償行動とそのリスク
仕事がなくなり、不毛なゲームに参加できなくなった人々は、別の形で自分の存在価値を確認しようとします。これを「代償行動」と呼びます。代償行動の一例として、パチンコやゲーム、SNSでの自己アピールが挙げられます。これらは一時的に安心感を与えるかもしれませんが、長期的には心の空虚さや孤独感を増幅させるリスクがあります。
私が懸念しているのは、こうした代償行動に多くの人が流れてしまい、本当に求めていたものからますます遠ざかってしまうことです。これは、社会全体にとって大きな問題となる可能性があります。
救済と目覚めのためのアプローチ
このような状況に対して、私たちができることは何でしょうか。私は、人々が不毛なゲームに囚われず、自分自身の内側に目を向け、本当に求めているものを見つけられるような「救済と目覚めのプロセス」を提供することが重要だと考えています。
しかし、現実的には全ての人が一度に目覚めるわけではありません。おそらく、7〜8割の人は救済のみで留まり、2〜3割の人が目覚めに至るでしょう。この救済のプロセスにも段階があり、最初は外側からの支援が必要ですが、徐々に内面に目を向けるフェーズへと進んでいくことが理想です。
このプロセスでは、無理に真実を押し付けることなく、各人が自分のペースで気づきを得られるように支援することが大切です。特に、自分の心の蓋を無理に開けさせるのではなく、本人が自然に気づき、成長していくことを尊重する必要があります。
おわりに
ベーシックインカムの導入は、私たちの社会に新たな課題を投げかけています。人々が不毛なゲームに囚われず、自己の内面に向き合う機会を得るためには、段階的な救済と目覚めのプロセスが必要です。このプロセスを通じて、私たち一人ひとりが本当に求めているものを見つけ、豊かな人生を築いていくことができるようになるのではないでしょうか