10年会っていなかった母と再会した

2021年秋、日々の生活のタスク全てがパンクして身体が動かなくなり、働けなくなってしまった。

離婚して東京に出戻って15年。父が亡くなって10年。

父がいなくなった後、折り合いの悪い母や弟とは疎遠となり、拠り所のない不安を持ちながらも、仕事はバリバリやり、転職でキャリアを広げ、ユニークで才能豊かな友人に囲まれて30代、40代は自立し充実した日々を過ごしていた。

そこにコロナ禍。

2年間積み重なったストレスでパンクし休職。やっとできた自由時間に本能的に足が向いたのは、10年間かたくなに交流を避けていた実家の母のところだった。

確か実家は再開発の地域になっていると聞いたことがあったので、もう家は無いのかもしれないな、などと考えながら最寄り駅から5つ先の、大して遠くない場所にあったはずの実家へ。建設中の大きな囲い。やっぱり。

高齢だし、どこか施設か病院にいるのかもしれない。
もう78歳か。生きてるのだろうか。
そんな心の呟きはこの10年、何度も頭をよぎったが、そのたびに脳みそから母の存在を消してきた。それくらい、大きな確執と嫌悪があった。

諦めて帰ろうとしたところ、道を隔てて隣にあるマンションのエントランスから、颯爽とした足取りで現れた小さな女性。母だった。

迷いなく真っ直ぐ前に向けられた目線には覇気のない私など単なる風景にしか映らなかったのか、こちらに気付くこともなく、私は声をかけるタイミングを失った。

駅前のドトールで時間を潰し、帰宅後の夕方を狙い再訪問。真新しいマンションのインターフォンを鳴らした。

母が出てきた。

内心は驚いたのかもしれないが、まるで毎週会っているかのような口調で、「あらマミちゃん!」と母は私を迎え入れた。間取りに見合わない、辟易するほどの家財道具の多さは相変わらずだが、ところどころにあしらわれた無印良品のアイテムやいまだに使い続けているテーブルに懐かしさを感じるとともに「この人の子供なんだな」という実感が強く湧いた。

彼女にとって大きなストレスだった父がいないからなのか、新しいマンションで好きなものだけに囲まれたひとり暮らしが充実しているからなのか、休職中で覇気のない私とは比べものにならないほど、78歳の母は元気ハツラツであった。

私は近況や仕事を休職していること、パートナーの家に身を寄せるべきかすごく悩んでいること、などを話した。

父の仏壇に手を合わせた後、私が海外出張中で立ち会えなかった父の最期の様子を話してくれた。最後に会った、葬儀の時には私に一言も口を開かなかったのに。
右手を母が、左手を弟が握り絶命まで励まし続けていたそうだ。私と母以上に父との断絶が激しかった弟のそんな姿は想像し難かったが、父は絶対に嬉しかっただろう。私は父の気持ちなら手にとるようにわかる。
そして、こんな風に素直に私に話ができる母は意外だった。

最近「東京の生活史」というインタビュー集を読んだ。厚さ5.5cmという読み応えのある一冊に、150人の人生が詰まっている。
読後、私も誰かの人生のインタビュイーになってみたいと思った。


私の知らない母の物語、残したい。







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