提供できる価値が大事という話
自分も価値という言葉をよく使いますけど、これは少し注意しなければいけないことは
ただ価値を身につければ、良いというわけではなく
提供できる価値を身につけなければ、意味ないですよ、ということです
もっと細かく説明するならば、その価値をお金を払ってでも欲しい!と思ってくださる
ありがたいお客さんに対して提供できる価値でなければ、ほぼ無意味ってことです
例えば、1000万年以上前の石が家にあります、となった場合
確かに価値はあると思うんです、でもそれをお金を払ってでも買いたい人はいるのか?
と言われるとよくわからないですよね、それが宝石ならば
提供できる価値かと思いますけどね、提供できる価値って
自分が今までに苦労したことや悩み苦しんできたこととか
他の人たちよりも粘り強くあきらめずにやってきたことって提供できる価値にしやすいんですよ
例えば、ちっちゃい頃に太っていて、そのせいでいじめられました
体型のことを、からかわれました、スクールカーストでも
下位でした、となったとき絶望感でしかないですし
親にも反抗的な態度をとってお父さん!お母さん!のせいで
自分はこんなに苦しまなければいけない!ふざけるな!
みたいなことを実際に言ったことがある人もいるのかもしれないですね
でも何回か出てきています、提供できる価値という部分で考えた場合
将来は、もしかしたらお父さん!お母さん!自分のことを産んでくれて
本当に心からありがとう!となる可能性も大いにあるわけですよ
それは、他の人では、なかなか手に入れることができない
成功という果実を手に入れることができるポテンシャルを秘めているからです
実はダイヤの原石だって話です、スクールカーストの最上位にいる人間なんて
べつにダイヤの原石でもなんでもなく学校の中だけで光り輝いていられる
期間限定の照明器具かと思います、学校の中で光り輝いていたって意味ないわけですよ
そこで光り輝いていたって一生、成功者になんてなれないわけですからね
社会の中で頑張って成果を出し光り輝ける存在にならなければ
人によっては、一生暗闇の人生かもしれないですので
そこは注意しなければいけないですね、という話でした