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「海に眠るダイヤモンド」を何度も見返している その4(再び関連資料編)

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

「ねっこ」と「サントラ」をヘビロテしながら、大マジメに端島を勉強し始めて、「その3」では終われずに、「その4」です。まだ「端島」熱は続いています。この文章中のドラマのネタを楽しみながら、端島関連情報としてご覧ください。

最近、車で遠出するとき、運転中にドラマを再生しながら、いろいろなシーンで、少し先のセリフを口走っております。
家出してるイズミさんの
「あなた!そこの。」(私には鉄平の影がはっきり見えます。)とか
「廃墟なんかじゃない。」(一緒に泣きます。)とか
「メガネから見える。そこ!」(嬉しい。)とか、
「末は博士か大臣か~♪」(昔の人はよくそう言っていましたね。)とか。
名台詞だらけですね!本題に入れなくなってしまうので、切り上げます。

さて!目次です。


ますは、帝国書院の地図のお話です。

そういえば、と思い出して、家にあった昭和25年(1950)帝国書院の中学校社会科地図帳(2006年復刻)を見てみました!

これです。
右に置いてある25と大きく書いてあるのは、
復刻版のブックケースです。

端島!ありました。炭鉱マーク[⚒︎]がありますね!昭和25年(1950)は鉄平たちは17歳くらい??朝子は10〜15歳かな。この地図帳で勉強してたかも。こんなに印刷(色)が綺麗です。浦上天主堂もちゃんと載っていますね。しかし、教会の凡例ではなく、史跡の凡例表記[∴]となっているところはツライです。この地図のときはまだ、原爆で全壊したままで、その再建は1959年(昭和34年)ですね。

載っていました!フリガナまで!
次(下)は、帝国書院の新詳高等地図(1995)です。
ここにも載っています!
中の島も描かれていますかね。
端島は、閉山して20年経っているので、
炭鉱マークはありません。

上記、S25年の地図(中学版)の高校版「新詳高等地図」(1995)(鉄平は62歳くらいで、野母崎の家をすでに買っていて、ボランティア活動中。)は、それぞれ地図の表現密度はほぼ同等だと思います。社会人になって、購入しました。もう、、30年も前。。中高では、このような地図帳には大変お世話になりました。この地図帳、大好きなんですよ。そして、こちらには、高島も載っていますね。S25年(復刻版)は、ページの境目に来てしまって、、載らなかったのかな。

ところで、これらの地図では、示している対象によってフォントが違います。高島は角ゴシック体で、端島は明朝体です。伊王島や野母崎もそれぞれ2種のフォントで記されています。今までは何気なく見ていて、フォントの違いまでキチンと気が付いてませんでした。地図の凡例には見当たらなかったのですが、どうもこの違い、、角ゴシック体が、行政区の名称表示で、明朝体はその地理的な名称(「〇〇島」とか「〇〇崎」とか)ですか。行政区の名称とともに役場の位置を示す○印もありますね。また、丸ゴシック体はもう少し広い範囲の「〇〇半島」を示すためかと。そうすると、ゴシック表記の「高島」は行政区としての高島町であって、島そのものの名前は表示されていないことになります。端島より全然大きいのに。ここには編集の意図も感じます。それだけ端島が有名だったということだと思いました。こんなところにもきちんと歴史が表れているように思え、びっくりです。

そして、その二つの地図を並べると、、こうなります。縮尺は少し違います。

左が1995年版、右が1950年版

1950年版の面白いところは「電力分布」図として、送電線網が地方区分ごとに載っていることでした。上の写真のオレンジの地図は九州地方のそれです。戦後復興には電力の問題が喫緊の課題だったからではないかと思いました。黒部ダムもまだ無い時代です。

次は、見学記へのリンクです。

そして、夏の軍艦島クルーズの予約をしたのですが、待ちきれず、あちこちのステキな見学記を拝見しています。

そこで!一足お先に!感銘を受けたものがありましたので、リンクを貼らせていただきます!写真の撮り方や説明が大変素晴らしく、状況がひと目でわかりやすいように見学通路と風景が一緒に写されていたり、遠景と拡大写真が上手に組み合わされていて、大変臨場感のある見学記録です。

見学前にこんなに情報を知って、現地での感動が薄れるのでは?と思う方もいるかもしれませんが、大丈夫です。先に写真で見ても実際の感覚は、また全く違う、それでまた感じ方が深くなる。ことはしょっちゅうです。写真の印象と現実を比べるのも、職業柄必要なことでもあります。今回は大変有難い内容でした。

もちろん、何の先入観も無く出会う風景や絶景も大好きです。

最近はストリートビューで先に計画地の確認をしたりするので、VRと現実を行ったり来たりすることでその補正に磨きがかかります。特に端島のような、他に例のない特異な空間は、その補正が効きづらいので、尚更このような訓練も必要です。もちろん、端島のストリートビューも見ました!すごいですね、技術の進化は。島内をグルッと回れます。リンクを下に貼ります。リンクの風景は、おそらく目の前にメガネが見えていると思います。振り向くと。。。

さて、上の軍艦島(長崎 端島)の見学記のリンクは「とんぺい」さんのホームページ「機械博物館」の一部です。ワタシ的には、機械博物館のこの他のページも大変に勉強になる内容でした。質・量が膨大な様子で、まだ見切れていません。no+eでも記事を書いておられます。私の興味関心のはるか先を行っているような詳しい記事が多いので勉強させてもらっています。

さて、引き続き、端島が載っている本を読みました。この章、長いです。

「その3」で端島→集合住宅→西山夘三→団地という流れもあったので、検索で出てきた松葉一清(1953-2020)さんの「集合住宅-20世紀のユートピア-」(2016)を読みました。(松葉さん、お亡くなりになっていたとは。)本は、なかなか重い話でした。色々な意味で考えさせられます。アルカディアでは無く、ユートピアという事も。端島の明治の遺構が世界遺産になった直後に出版されています。そこは一つポイントかもしれません。後述します。

Amazonの紹介文には「二〇世紀に建設された集合住宅は、庶民に快適な生活をという強い理念に支えられていた。ウィーン、パリ、軍艦島。世界中に遺されたユートピア計画の軌跡を追う。」と書かれています。この本に何を求めたかで、Amazonのコメント欄での評価が分かれるようです。

なかなか面白い本ですので、建築や集合住宅に興味のある方はぜひ読んでみてください。特に、西欧の事例は、維持管理によって今も大切にされている事。それは素晴らしい文化だと思います。

この本では、端島の集合住宅を皮切りに、19世紀半ばから20世紀の西欧の錚々たる歴史的な集合住宅の意義等が書かれているのは、なかなかダイナミックに感じましたし、大変勉強になりました。まぁ、世界中、、というのは、、この場合、西欧と日本のことです。

しかし、???になった部分もありました。西欧の集合住宅と、日本の同潤会、田園調布のあたりはよくわかりました。なるほどでした。しかし、そうであればあるほど、端島の記述に違和感を覚えたのです。

端島の歴史や空間をそれなりにキチンと書きながら、、モダニズムやコルビジェとの類似性もしくは端島の先進性を述べ、唐突にピラネージ(※)の牢獄の絵が登場し、「それは、日給住宅の中庭の光景と似ている。→軍艦島はその絵とイメージが重なる。→ディストピアのようだ。→見紛うことなき「ディストピア」ということになる。」と、中略しましたが、勢いよく話が続きます。しかし、ドラマを見た後だと「何だろな」という思いです。もし、ドラマを見る前だったら、その言説から、ディストピアのイメージを鵜呑みにしていたかもしれません。情報の出し方、話の持っていき方によって、印象が変わるので、怖いなと思いました。
(※ピラネージとは、建築のデザインを勉強している人たちや西欧の建築史に詳しい方が学んでいる有名な版画家の名前です。私自身は、垂直方向の空間性が表現されている緻密なエッチング画として理解していました。絵のリンクを貼ります。)

これ↑です。1760頃の絵です、江戸時代!確かに日給住宅の中庭に姿形は似てはいるけど、日給住宅に住んでいたのは囚人ではありません。やはり、この牢獄の例えは働いていた方々に失礼かなぁ。鉄平の悔し泣きの気持ちです。石炭を掘っているのは「誰かに踏みつけられるためじゃない!」と。端島は牢獄だったのか?端島は沈没したのか?もちろん端島が青春群像劇だけではなかった、であろうこともわかりますが。しかし、牢獄やディストピアというのは言い過ぎだと思いました。

端島の場合、「庶民の快適な生活をという強い理念」というよりは、狭い島で、採炭の都合で人が増え、高層化するしかなかったわけで、過酷な条件から、少しでもマシな住環境が提供され、改良されてきたと思っています。屋上庭園(菜園)まで。ピラネージの絵に屋上庭園はなかったと思います。さて、僭越ながら私なりにAmazonの説明文を修正してみました。

「二〇世紀に建設された集合住宅は、庶民に快適な生活をという強い理念に支えられていた。ウィーン、パリ、ドイツ、日本(同潤会)。西欧に遺されたユートピア計画の軌跡を追う。端島(軍艦島)の集合住宅(社宅)との対比で。」

少し正確になったと思います。売れそうかどうかは別として。しかしこのタイトルを直した段階で、やはり、端島と西欧の理想を同列に比べていいのか?という不安がよぎります。そして、ドイツのあのブルーノ・タウトのジードルンクや、日本の同潤会も載っていますので。むしろそちらがメインかと。しかし、同潤会は解体していて遺されていません。。で、やはり、世界遺産になった(集合住宅では無い、明治の遺構部分が、ですが。)ばかりの軍艦島として、キャッチーに使われた感が否めません。

もちろん、書いておられる方は、建築ジャーナリズム、近現代建築史の第一人者で、大学の教授でもあって、さまざまな著書があります。しかし、端島をここで書くのにはページが足りなかったように思いました。コルビジェの船の話と軍艦島も船!と繋げるのは、偶然の一致的な要素を殊更に拾い上げている様に見えて、論を広く水平展開するのにはあまり役に立たず、話題性を出すためにネタ的な深掘りとして扱われたようにも感じてしまいます。少々、ショッキングな話の繋げ方で、強引な感が否めませんでした。いわゆるミスリードということでしょうか。。

端島は、使命を終えたので今は朽ち果てていくだけで、この本に出てくる西欧の他の集合住宅は今も大事に使われている。この本では、「軍艦島」が何か異形の見せものとして引っ張り出されたように感じてしまいました。

そのようなイメージだけの概念は、ドラマ中で鉄平の大学の友人の「そういう所からも来てるんだ。うちの大学。」というセリフの根幹と似ているのかな、と思ってしまいました。そういう所?どういう所?牢獄?

「その3」で紹介した西山先生の本には、記載内容によって「端島」と「軍艦島」を使い分ける旨、そこまで記載されていました。軍艦島はあだ名であることを承知していて、丁寧さが伝わります。また、住まい方の研究(教えてもらう)対象なので、島での住空間の調査に、とても真摯に臨まれているのは、その調査のスケッチ等からもわかります。まだ端島に生活が溢れている時代でしたしね。やはり、端島は、その生きていた時代をベースに思いを馳せたいと考える今日この頃です。

人がいなくなった後の建物を見て、ピラネージの牢獄と単純にイメージを重ねて語るのはとても危険なことだと思います。「牢獄なんかじゃない!」という気持ちです。お後もよろしいので、このお話はここまでにします。

重ね重ねになりますが、全体的にはすごい勉強になりました事、記します。

ドラマがすごかったのは、その「軍艦島」という名称を「端島」という名称に上書きする(元に戻す)力を持っていたのではないか、ということです。

うーん、すみません。すっかり長くなってしまいました。私が扱うにはまだまだ難しいテーマが潜んでいます。本もこの原稿も何度も読み直して、修正しましたがまだわかりにくい部分があると思います。また、少し時間を置いて、改訂するかもしれません。今は、この本の話はこれくらいにして、次に進めます。

他に三冊読んでいます。そのうち二つは写真集なので簡潔に紹介します。

閉山40周年の記念誌なので大いなる「端島」(2014)!!ですね。まさにドラマの内容を補足するような当時の日常生活の写真集でした。そこには社宅としての生活がありました。おすすめです。私も幼少期は社宅住まいでした。なので似た雰囲気がとても懐かしい感じもします。

この本を見ていて、端島にはボーイスカウトもあったようです!だから、鉄平から賢将への手旗信号の手紙だったのでしょうか?鉄平たちは、時代的にボーイスカウトでなくとも海軍からの手旗で、鉄平はむしろボーイスカウトのリーダー的なことをした年齢かもしれません。ドラマ内、長崎の原爆炸裂のシーンで、端島の校庭で手旗信号の練習(?)をしてますね。その手旗信号から、賢将への手紙に繋げるなんて、すごい伏線。あ、私もボーイスカウトやっていました(日本でピークの頃ですね。)ので、当時は手旗信号は習得させられました。各々が1セット持っていましたし。

お次は、

この本は、端島以外の廃墟も載っています。幻想的に美しい写真となっています。美しく色を調整した写真は、好みが別れるかもしれません。しかし、本のタイトル通り、美麗ですね。

本日ご紹介する最後の一冊はこれです。

今、読んでいるところです。面白い。端島の集合住宅の成立理由を学ぶには一番良いかもしれません。先の「ユートピア」より史実を淡々と丁寧に記しながら、、これと併せてユートピアを読むのが良いと思います。そうすると。やはり、松葉さんの言うところの、牢獄やディストピアというのはどうなのか?ということが確信になります。歴史の様々な流れがあって、必然として、歴史の重要なページとなる端島の集合住宅が生まれたように思います。そして、「その3」で書いた、小松左京氏の登場にもびっくりしましたが、さらにびっくりしたのが、この本に小山薫堂氏が出てくるのです。そこ?薫堂氏の高祖父が、すごい方で、小山秀之進さんは、端島の開発に関わり、グラバー邸等々、すごい業績を残しておられる方なのです。現代にまで脈々と繋がりますね。(大阪・関西万博の宣伝ではありません。しかし、薫堂氏はそのプロデューサーの1人です。)読み終わったら追記します。

最後に一つ余談。

端島閉山は1974年。
何気なくいろんな記事を見ていたら、、
宇宙戦艦ヤマトの初放映が1974年!
沖田艦長が息を引き取る直前の名台詞
「地球か。何もかも、みな懐かしい。」
(わかります??YouTubeに動画あります。)
51年も前ですが、、、すごい最近に思えます。

50年。半世紀ですね。はぁ。声が聞こえてきます。


「そうだ。死骸。石炭。石炭だと思えばいい。50年前の残骸。成れの果て。」
「ふふふ。なんてことないじゃない!」

私の話の繋げ方が下手ですね。(汗)
しかし、いや、朝子はやっぱり逞しい。ひとつの心の壁を越えた瞬間だったと思います。そして「なんてことなく」はなかった。
「ダイヤモンド!」そして「コスモス!」また「ねっこ」が聞こえてきます。

「誰もいなくなってしまったけど。」「あるわ。 ここに。」
「私の中に。 みんな。眠ってる。」

「お待たせ。」
「待ちくたびれた。」
「ごめん。」

「キラキラしてる。」
「朝子。 俺と、、結婚してください。」
「  はい。」


と、想いに浸って、いいとこですが、すみません、もう一つ。


余談のオマケ?蛇足?

何も考えずに、最近書いたそれぞれの記事に掲載していた下の写真ですが。
実は重大な共通点があることに気がつきました!
あぁ!皆さんはすでに気がついている?

端島
大和型戦艦の二番艦の「武蔵」の故郷
武蔵を現代の海に浮かべてみた。
そしてタイトルバックのこの風景

ヒント:共通の重要な「言葉(キーワード)」が一つあります。
「海」とか「船」ではありません。「軍艦」は風景写真にはいません。
もう少しヒント。それぞれの関係シャと言ったらわかっちゃいますかね〜。
答えは↓下へ。






















そのキーワードは「三菱」です!!
おぉ!となりましたでしょうか?それとも「なーんだ」でしょうか。
自分が一番びっくりしているかもしれません。
まさかの三菱つながり。そんなこと考えずに載せていました。

説明するまでもないかもしれませんが、念のため。
・端島は、三菱の炭坑です。
・戦艦武蔵の製造は三菱重工で、写真は武蔵の故郷、その「長崎造船所」です。
・そして、みなとみらいは、、、1980年頃まで三菱重工の横浜造船所でした。日本丸はその当時の造船所のドッグに係留されています。
・ランドマークタワーは三菱地所設計。そのエレベーターも三菱製。
・この風景の左側は、三菱地所の土地です。撮影者もそこに立っています。

そして、このことが、先に紹介した本。「海の上の建築革命」につながっていました。(汗)三菱の歴史は、日本の産業史の需要なパートになっています。これらだけで「その5」が書けてしまいそうです。

閑話休題。
光ディスク特典の器はやばいですね。欲しい(๑>◡<๑)

最後まで読んでいただきありがとうございます。
また、次の記事でお会いできれば。





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