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テガミ事変 2

早番に入っているアクタガワがパソコンでブログの記事を書いていると、裏口の扉が開く音がした。遅番のホウライがきたようだ。

「お疲れ様です」

「お疲れ様です!」

引き継ぎ事項を伝え終えると、アクタガワは「そういえば」と切り出した。

「ケイジさんが毎日のようにこられるので、対応だけでどっと疲れます」

するとホウライは「分かります!」と声を大きくした。

「一日に二回はきますよね。まとめて三人できてくれれば一回で済むのに、毎回一人と二人で別々にきませんか?」

「そうなんですよ。一人帰ったと思えばすぐに二人できたり、その逆も然りです」

「いつまで続くんでしょうね。そんなに忙しくない時は対応できますけど、予約がいっぱいの時は厳しくないですか?」

「ですね。でも断って疑われるのも嫌なので手短に質問に答えてはいますが」

「はああ」とどちらからともなくため息がこぼれる。ホウライは午後以降のスタジオの予約状況をパソコンで見ながら「ちなみに」と口を開く。

「今日はもうこられましたか?」

「二人組の方はきました」

「じゃあこれから一人きそうですね」

「恐らくは。でもあれ以降もう警察署には呼び出されてないじゃないですか。私達への疑いは晴れたってことですよねきっと」

「そうだといいんですけど。まだ疑ってるから毎日きているとも考えられませんか?」

ホウライの予想に、アクタガワは「それは……ないとは言い切れませんね」と口角を引きつらせる。

「もう何を疑えばいいのか分からなくなってきましたね」

ホウライの言葉は、アクタガワの気持ちも代弁していた。疑心暗鬼にになると良くないというのはよく聞くが、今の状況を考えればそうなるのも致し方ない気がした。

「カゲヤマさんは頭を強く打っていたんですよね? 殴られたのかどこかにぶつけたのかどっちなんでしょう?」

「どっちだったかによって事故か事件か見当がつきそうですね。殴られたんだとしたら私怨とかによるあからさまな殺人ですし、ぶつけたのだとしたら運の悪い事故」

ホウライ、アクタガワの順に推理を展開させてゆく。が、ホウライが「そういえば」と思い出したように声を出した。

「私達、事件のことを知らなさすぎると思うんです。カゲヤマさんはどこで倒れていたのかとか、当時の店内の状況とか」

「言われてみればそうですね。ドラマだったら刑事が主役なので当たり前にそういう情報を知ってますけど、一般人が主人公となるとそれらの情報を得る手立てがそもそもありませんもんね。警察に行ったところで教えてくれるわけでもないですし」

「「……」」

調査の前に情報収集をした方が良さそうだ。帰ったらオトナシにもそう伝えようということで話はまとまり、アクタガワはホウライへと仕事を引き継ぎ帰宅するのだった。


その日、ホウライとアクタガワ、オトナシの三人は閉店後に店内を見て回ろうということになった。理由はなにか事件の状況を知るための手がかりを探すためである。あの日アクタガワは帰宅後すぐにオトナシに「事件当時の状況を知ってますか?」とメッセージを送ったが、答えは否だった。ニュースや新聞は事件の表面の情報をなぞるのみで、核心に迫るようなことは得られない。事件か事故かは未だに判別できていないとのこと。待っていても犯人は捕まらないと誰もが思ったことだろう。そんなわけで、情報を整理するためにも三人はこうして集まったのだ。

「とりあえず一通り見て回りましょうか」

ホウライの一声で三人はカウンター内、事務所、玄関、ホール、AスタジオBスタジオ、古物エリア、倉庫、トイレの順番でそれぞれの場所をくまなく見て回ったが、新たな証拠は見つからなかった。落胆して戻ってきた三人は、何となくレトロゲームのショーケースと販売している楽器の間にある通路にいた。

「あれ、ハロウィンモデルがなくなってる」

オトナシが誰にともなく呟く。なになに? と楽器の前にきたアクタガワとホウライは、一つだけ空いているギタースタンドに目を留めた。

「本当ですね。ここにあった派手なギターがなくなってます。売れたんでしょうか?」

ホウライの言葉に対し、オトナシは「いや」と考え込むように顎に手を置いた。

「これ、五十万で売ってたんですよ。もし仮に売れたんだとしたら、絶対ここでその話が出るはずです。でもその話は耳にしてません」

「過去のデータを調べてみましょうか」

アクタガワの提案にホウライとオトナシは賛同し、三人はカウンター内のパソコンで過去の売り上げのデータを遡った。

「……売れたという記録は残っていませんね」

マウスをスクロールしながらそう口にするアクタガワ。オトナシは「やっぱりそうか」と呟く。ホウライは心なしか顔を青くしながら「それはつまり……」と一拍間を置いてから恐る恐る一つの考えを口にした。

「盗まれた、ということですか?」

「順当に考えればそうなりますね」と冷静に返すオトナシ。

「でももしそうなら、ハスイケさんからとっくに情報が回ってきてると思うんですよ。その上で盗難届を出したりここに警察がきたり。いや警察は今もきてますけど、カゲヤマさんの件で」

アクタガワの指摘は極めて筋が通っていた。

そこで「もう一個気になったことがあるんですけど」と小さく挙手したオトナシは、レトロゲームが置いてあるショーケースの前へと二人を誘導した。

「ここに置いてあった、JIIKEもなくなってるんですよ。こっちも一万越えで結構高かったので、売れたとしたら話題になってるはずなんです。こっちも調べてみませんか? 俺たちに話が回ってきてないだけという可能性もありますし」

再びパソコンの前に舞い戻った三人は、JIIKEが売れたという記録を探した。しかしこちらもギター同様、売れたという記載はどこにもなかった。

「「「……」」」

三人が口ごもった理由は恐らく同じだろう。自分たちの知らないところでなにかが起こってると嫌でも分かってしまったからだ。

「そういえば少し前にハスイケさんから、なくなったウィルソンのハロウィンモデルのギターについて教えて欲しいって電話がきたんですよ」

「「えっ」」

オトナシの言葉に、ホウライとアクタガワは揃って驚きの声を上げる。

「偶然、とは思えませんよね。世界で50本しか生産されてないギターなので、早々出回ることはないはずです。ハスイケさんは、俺達の知らないなにかを知っているんじゃないでしょうか?」

「古物を主に扱ってるのもハスイケさんですよね。JIIKEのことなら、ハスイケさんが何か知ってる可能性は高いと思います」

アクタガワの言葉に、ホウライは「私明日早番なんです。遅番がハスイケさんなので聞いてみます」と体の横で拳を握りしめた。

どうかこの嫌な予感が当たらないでくれと三人は切に祈った。


アクタガワはブログの記事を作成しながら、ふと以前カゲヤマが言っていた話を思い出した。

あれは確か、アクタガワが初めて遅番に入った日の閉店間近のこと。戸締りなどの締め作業をしていると、ふと当時世間を賑わせていたニュースの話になった。

「少し前に、妻がDVに耐えかねて夫を殺しちゃったっていうニュースあったじゃん? 加害者はもちろん妻なんだけどさ、妻も被害者だと思うんだよね」

「妻の話では、家庭内暴力がかなり壮絶だったみたいですね」

「うん。なんで離婚しなかったんだって色んな人が言ってるけど、離婚できなかったんじゃないかな。できてたらとっくにしてると思うんだよ」

言われてみればそうだなとアクタガワは思った。夫の妻に対する執着が相当強かったとすれば、離婚など絶対に受け入れなかっただろう。仮にできたとしても、夫はその後もしつこく妻を追いかけるはずだ。夫の目を盗んで逃げた場合も同じだろう。

「妻にとっては、殺すという道しか残されていなかった?」

カゲヤマは「うん。僕もそう思う」と頷いた。

「もし妻が今回の事件を起こさなくても、この先どこかで夫に殺されていた可能性もある。もちろん殺人は許されないことだけど、加害者が必ずしも悪人とは言い切れないんじゃないかなって」

カゲヤマの話は、すぐに結論を出せない難しい話であった。けれど生死に関わる状況に追い込まれて、もみ合いの末に打ちどころが悪くて殺してしまったということは十分に起こり得ると思う。その場合、殺意があって殺したわけではないし状況から見て正当防衛が認められる可能性もある。誰もが加害者になり得るし、被害者と加害者は紙一重だ。アクタガワは願わくば生きている間にそんな場面には立ち会いたくないとカゲヤマの話を聞きながら思った。

別の日には同じ敷地内のジェラート屋のジェラートを「いつもお疲れ様」と奢ってくれたり、個人的な悩みの相談にも乗ってくれたりした。従業員思いの優しい人だった。まだ若く、これからというところだったのに……

胸にどうしようもない寂しさが込み上げ、アクタガワはふとスタジオ内にあるカゲヤマの持っていた本が置いてあるテガミ図書館へ向かった。

何気なく手に取った一冊は、猫の写真が目印の一冊。表紙を開くと、ケンジくんへと書かれていた。そういえばこの本は、仲の良い友達から譲ってもらったとカゲヤマが話していたなと思い出す。確か警察小説好きの同級生と言っていたような気がするが……

「なんて名前だったかな? うーん、思い出せない」

カゲヤマの名前に似ていたような気がするということだけは覚えているが、最初の文字すら出てこない。人の名前はどうして急に聞かれると思い出せないのだろう。親しい人物であっても、長い間交流がないとフルネームを思い出せないこともある。高校の頃に仲が良かった友人の苗字を思い出せなかった時はショックだった。

「何もなかったように、ある日ひょっこり帰ってきたりして……」

そうなってくれたらどれだけ良いだろう。きっと従業員の誰もがそう願っているはずだ。カゲヤマが「おはよう!」と姿を見せない日々は、未だに慣れない上に寂しさを隠しきれない。

スタジオで暮らしているカゲヤマの愛猫であるミケワンとオジロは、カゲヤマが帰ってこなくなってから夜鳴きがひどくなった。いつになっても姿を見せないカゲヤマを探すように「にゃおーん」と何度も鳴く姿には、毎回胸を締め付けられる。

最近では、カゲヤマの事件がニュースで報道されることもなくなった。毎日数えきれないくらいの事件が起きているのだから当然だが、無情だなとアクタガワは思う。

と、噂をすれば事務所から二匹の鳴き声がした。

「どうしたのミーちゃんオジちゃん。お腹空いた?」

「みゃあん」

「にゃー」

二匹はしきりにアクタガワの周りをぐるぐるしながら、寂しさを紛らわすように頭を擦りつけてくる。ハチ公もこんな思いで日々を過ごしていたのだろうか。帰ってこないという事実を知らずに毎日毎日待ち続ける日々。それはどんなに辛く寂しいことだろう。

アクタガワはせめてもと、昼休み中にうんと二匹を撫でてあげるのだった。


それから月日は流れ、カゲヤマの事件が起きてからもうすぐ一ヶ月半が過ぎようとしていた。

この日、四人は例によって閉店後に調査結果の報告と共有のためにスタジオに集まり顔を突き合わせていた。

「俺達は成果なしです」

三人を代表してオトナシが結果を報告すると、ハスイケは「分かった」と頷いてから鞄から取り出した一枚の紙をみんなに見えるように机に置いた。

「「「これ!」」」

三人はそれを見るやいなや声を揃えて写真にかじりつく。

「そう。事件当時の現場写真だよ」

オトナシが「これ一体どこで手に入れたんですか?」とハスイケに詰め寄る。

「知り合いに探偵みたいなことをやってるやつがいてね、そいつに頼んで回してもらったんだよ」

写真はカウンター内に人型のひもが置かれており、その人型はミケワンとオジロがいるカウンターに向かって両手を伸ばしている。

「カゲヤマさんは、うつ伏せでカウンターの中に倒れていたらしい。ちなみに頭を強く打ってたって話だけど、カウンターのドアのドアノブにぶつけたんだって。ドアノブにカゲヤマさんの血が残ってたみたいだから間違いないよ」

これでようやく事件の輪郭が見え始めた。これは大きな一歩だとアクタガワ、ホウライ、オトナシは思った。しかしハスイケが出した写真の中で真っ先に目がいったのは、床に落ちた一枚のポップとあるゲームソフトであった。

「このポップって、ウィルソンのハロウィンモデルについてたやつですよね?」

「こっちのゲームソフトは、ショーケースからなくなってるやつです」

オトナシとホウライは顔を上げ、答えを求めるようにハスイケを見つめる。

ハスイケは「ごめんね」と眉を下げてから真相を語り始めた。

「この二つはなにか事件と関係があるかもしれないってことで、警察に証拠として提出してたんだ。うっかり話し忘れてたよ。本当にごめん」

三人は少し前にハスイケに対して抱いた疑心が晴れたことに、密かに安堵した。

「そういうことだったんですね」

「この前なくなってることに気付いたんですけど、売れた記録も残ってなかったので不思議に思ってたんです」

「盗まれたのかもなんて考えたりもして」

アクタガワ、オトナシ、ホウライがそれぞれ胸を撫で下ろしながら言うと、ハスイケは「ごめんね」と申し訳なさそうに微笑んだ。

「でも、なんでこの二つが落ちてたんですかね?」

アクタガワが写真に再度視線を落としながら疑問を口にする。

「ポップはともかく、ゲームソフトはショーケースに入ってたやつなのでカゲヤマさんが持ってきて置いたとみて良さそうですね」

オトナシが顎に拳を置きながら立てた仮説に異を唱える者はいなかった。

「カゲヤマさんが置いたとすると、ダイングメッセージ、つまり犯人に繋がる重要ななにかということでしょうか?」

ホウライの言葉に、ハスイケは「少なくともなんの関係もないものではないだろうね」と同意した。

その後しばらく議論をしたが、「分からない」というのが四人が出した結論だった。事件当時の状況が分かれば調査状況は進展するかと思ったが、そう上手くはいかなかった。まあそうだろう。四人が少し考えて何か分かるのだとしたら、警察はとっくに犯人を見つけ出して事件は解決しているはずだ。

沈んだ空気を入れ替えるように、ハスイケは明るく微笑んだ。

「大丈夫、すぐ捕まるよ」

その言葉はなんの根拠もないものだが、ハスイケが言うと何故か本当にそうなるような気がするから不思議である。

四人の調査の日々は依然として続くのだった。


ホウライとオトナシはちょうどシフトの入れ替わりということで、引き継ぎ事項の延長で話をしていた。

「そういえば、カゲヤマさんの奥さん事件が起きてから一度もここにいらっしゃってませんよね」

オトナシが話を振ると、ホウライは目を伏せながら答えた。

「旦那さんが立ち上げた会社とはいえ事件が起きた現場ですからね。きたくてもこれないんだと思います」

「……確かにそうですよね」

するとそこで来客を報せるベルが鳴る。やってきたのは毎日のように店に訪れるケイジだった。

「こんにちは」

「こんにちは。今お時間大丈夫ですか?」

「すみません、仕事中ですので」

ホウライが遠回しに無理だと伝えると、ケイジは「今日は大切なお話があってきたんです」と真剣な顔で言った。

「大切なお話ですか」

それは事件に関することでなにか進展があり、それについてのことだろうかとオトナシは微かに希望を抱く。

ケイジはオトナシとホウライに話を聞く気があると察し、話を始めた。

「実は、ここの店長さんがとある病院に頻繁に出入りしているという情報がありまして。そのことについて、何か聞いていたりしませんか?」

オトナシとホウライは顔を見合わせた。二人の顔にはともに「知らない」と書いてある。

「いえ、何も。ご家族が入院されているという話も聞いたことはありません」

オトナシが答えると、ケイジは「それではご本人が現在なにか怪我をされているとかは?」と続けて質問をした。

「それもないと思います。病院に頻繁に通うような怪我だったとしたら仕事に支障が出るはずです。ですがハスイケさんはここ最近休まずに出勤されています」

「そうですか。分かりました、ありがとうございます。ちなみになにか新しく気付いたことなどはありませんか?」

ホウライが「特にありません」と答えると、ケイジは「そうですか。ご協力ありがとうございました。失礼します」と帰って行った。

世の中には顔が似ている人間が自分以外に三人いるなんていう話もあるくらいだ。オトナシとホウライは、ケイジの見間違えでは? という結論に落ち着いた。

「ではオトナシさん、あとはよろしくお願いします。お疲れ様でした」

「はい、お疲れ様でした」


その翌日のこと。ホウライがシフトに入っていると、今日もケイジが姿をみせた。しかもいつになく慌てた様子で。

「こんにちは。今日は至急確認したいことがあって参りました。店長さんが事件当日の夜にここへきていたという証言がありました。本人からなにか聞いていたりしませんか?」

「えっハスイケさんが? それは確かなんですか?」

ホウライは初めて聞くその情報に信じられない思いで聞き返した。

「間違いありません。確かな筋から聞いた話です」

「そんな話は一言も聞いてません」

「分かりました。ご協力ありがとうございました」

ケイジは駆け足で店を後にした。

その日の夜、ホウライは昼間ケイジに聞いた話を三人のグループトーク画面に送った。ハスイケからなにか聞いていないかと。

「俺は何も聞いてません」

「私もそういう話は聞いてません」

予想はしていたが、やはり二人とも初耳のようだ。事件が発生する前か後に現場へ足を運んでいたが、それを黙っている。取り調べではこのことを話したのだろうか。話した上で疑いは晴れていて三人に明かしていないのだとしたら特に問題はないが、警察に黙っているのだとしたらなにか後ろ暗いことがあるのではないかと疑われても文句は言えない。果たしてハスイケは白か黒か? ここへきて少し前のハスイケへの疑惑が再燃するとは誰も予想できなかっただろう。今すぐハスイケに直接真偽を問いただしたいところだが、真実を知るのが怖いという思いもある。もしハスイケが犯人だとしたら、なんて考えたくはない。

その後三人で話し合った結果、「今はまだ黙っておこう」ということになったのだった。

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