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テガミ事変 1

閑静な田舎の音楽スタジオ。その駐車場に、一台の救急車がけたたましいサイレンを鳴らした状態で停車している。間もなく担架に乗せられて裏口から出てきたのは、このテガミスタジオのオーナーであるカゲヤマケンジであった。頭部に怪我を負っているらしく、担架の上で頭を固定されている。目は閉じられ、意識はない。

その日の夜、テガミスタジオのグループトークのページでは未だかつてないほどのメッセージが飛び交っていた。

『カゲヤマさんが大怪我したって、何があったんですか!?』
『今すごいニュースになってます。これ本当なんですか!?』
『スタジオは無事なんですか!?』
『ミケワンとオジロは無事ですか?!』
『お金が盗まれたりとかは!?』
『犯人はもう捕まったんですか?!』
『カゲヤマさんは今どうされてるんですか?!』

それらを送ったのは、事件が起きたテガミスタジオの従業員。上から順にアクタガワ、ホウライ、オトナシの三人。アクタガワは文系に強い女性従業員で、テガミスタジオのブログの運営を主体的に行っている。ホウライはデザインの勉強をしている女性従業員で、スタジオの宣伝等の広告やチラシを作っている。オトナシは音楽好きの男性従業員で、スタジオでは作曲をしている。そんな三人に対して冷静に返信が送られてくる。送り主はテガミスタジオの店長であるハスイケである。ハスイケはゲーム好きの温厚で社交的な人物である。

テレビではひっきりなしに音楽スタジオのオーナー襲撃という、なんとも不穏な言葉が飛び交っている。明日の朝にも、事件の詳細が記事になり新聞に掲載されることであろう。

『みんな落ち着いて。俺も今ニュースで知ったんだ。とりあえず病院とかに問い合わせて情報を集めてみる。それからスタジオはしばらく警察の捜査の関係で休業です。もしかしたら警察署に呼び出されることもあるかもしれない。色々と不便をかけるかもしれないけど、よろしくお願いします』

警察署に呼び出されるかもしれないということは、それだけ重大な事件が起きたということだ。警察沙汰の事件がこんな田舎で、それも自分たちの働く場所で起こるなど誰も予想できなかっただろう。しかし起きてしまったものは仕方ない。自分たちがここでどれだけ騒ごうと、事件が起こる前に戻るわけではない。落ち着きを取り戻した三人は、各々了承の旨を送った。

『分かりました』
『了解です』
『承知しました』

テレビをつければ毎日全国のどこかで大なり小なり事件は起こっている。しかしそれらは他人事で、実際に自分の身に起こって初めて気付くのだ。これまではなにもない平和な日々を運良く過ごせていただけで、その均衡はいつ崩れるか分からないということを。


事件発生から数日後、ハスイケの予想通り警察署に呼び出され取り調べが行われた。日にちや時間は全員バラバラであったが、聞かれた内容は概ね同じものだった。

「事件直後はなにをされていましたか?」
「それを証明できる方はいますか?」
「カゲヤマさんについて、なにか気付いたことやおかしな点はありませんでしたか? どんな些細なことでも構いません」
「これまでに現場周辺で不審な人物を見かけたことはございませんか?」

言葉や言い回しに若干の差はあれど、主に尋ねられたのはその四つ。自分たちが捜査線上にいるであろうことは追求のしつこさからすぐに分かった。言葉の裏の裏まで推し測ろうとする鋭い視線、言葉の綻びを見逃さんと放たれる含みのある物言い。実際に体験する取り調べは、ドラマで見るよりも過酷であった。もちろん一昔前の刑事ドラマのように机を蹴ったり胸倉を掴まれたりということはなかったが、数時間に及ぶ取り調べが終わる頃には、みな心身ともに疲れ果てていた。

「また後日お呼び立てすることがあるかもしれません。可能な範囲で構いませんので、ご協力いただければと思います」

事情聴取をしめくくったその言葉に対し、誰もがそうならないよう心の中で祈るのだった。


取り調べから数日後。アクタガワとホウライとオトナシはハスイケの召集で、一通りの捜査が終わりいつも通りになったテガミスタジオへときていた。

駐車場で会ったため三人揃って裏口から中に入ると、ハスイケが「お疲れ様です」といつもと変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。しかし目の下には隠しきれない疲労の色が残っている。

「とりあえず座ろうか」

ハスイケが手で示したのは、分厚いレトロなテレビとファミコンがある昭和の雰囲気漂う小上がりの前にあるテーブル。各自が椅子に腰を落ち着かせると、ハスイケはゆっくりと息を吸ってから皆の顔を順に見回した。

「カゲヤマさんが襲われたっていう事件だけど、店内にもみ合った痕跡があったことから事件と事故の両方で捜査されてるらしいです。カゲヤマさんは頭を強く打っていて、まだ犯人は捕まってません」

そこで一度言葉を止めたハスイケは、少し間を置いた後に意を決したように口を開いた。

「それからみんな一番気になってると思うんだけど、カゲヤマさんは……」

続きを聞かなくとも、その先の言葉はいやでも分かってしまった。ハスイケが辛そうに言い淀んだのが何よりの証拠だ。

ホウライは衝撃のあまり口元を手で覆い、アクタガワは無言で俯き、オトナシは悔しそうに唇を噛み締める。その場に落ちた重苦しい沈黙は五分ほど続いた。最初に顔を上げたのはオトナシだった。

「あの、ここにいるみんなで犯人を見つけませんか?」

オトナシの提案を聞いた残りの三人は、一も二もなく頷いた。

ハスイケは「うん、俺もそう言おうと思ってた」と力強く頷く。
ホウライは「私にできることがあれば協力します」とその目に決意の色を宿し両手を握り合わせる。
アクタガワは「黙ったままじゃいられません」とズボンの上で拳を握り締める。

満場一致でここにいる全員で独自に事件の犯人を探すことが決まった。それは警察を信用していないからとかではなく、いてもたってもいられなかったというのが正しい。ここにいる者は皆、カゲヤマとの縁がきっかけでテガミスタジオで働き始めている。恩人でもある人物がやられたとあっては、警察が犯人を捕まえるまで大人しく待っているなどできるはずもなかった。

「でも一つだけ約束してほしい。くれぐれも無理はしないって。これ以上誰かが欠けたら、ここは回らなくなる。ここを守るのも俺たちの仕事だと思うんだ」

ハスイケの言葉はもっともだった。カゲヤマのためと思い始めたことでもし仮に誰かが命を落とすようなことがあれば、それこそ本末転倒である。カゲヤマが立ち上げてここまで大きくしたテガミスタジオを、誰か一人の無茶な行動で立ち行かなくさせるわけにはいかない。

三人は口々に了承した。

「でもみんなでまとまって動くわけにはいきませんよね」

ホウライが少し考えた後にそう発言すると、ハスイケが「そうなんだよね」と悩ましそうに腕を組んだ。

「俺たちが動いてることは警察に知られない方がいい。となると、チーム分けをするべきだね。俺はちょっと調べたいことがあるから単独で動きたいんだ。だからチーム分けは三人で話し合って決めていいよ」

どうするべきかと顔を突き合わせるアクタガワ、オトナシ、ホウライ。

「三人って上手くいかないってよく聞きませんか?」

ホウライの言葉に、アクタガワは「奇数は誰か一人が孤立することになる場合が多いですよね」と賛同する。

「じゃあアクタガワさんとホウライさんで組んでもらって、俺は一人でいいです。同性同士の方が話しやすいこともあるでしょうし」

オトナシの一声でチーム分けはすんなり決まった。

「もしなにか進展があったら、三人で共有しませんか? 三人寄れば文殊の知恵っていいますし」

アクタガワの提案に、オトナシとホウライは「いいですね」「そうしましょう」と即座に賛成した。

「決まったみたいだね。警察が犯人を見つけてくれれば万々歳だけど、一日でも早くそうなるようにこれから頑張ろう。このことはくれぐれも、警察とか周りの人に話さないようにね」

「「「はい!」」」

こうしてテガミスタジオの従業員達による犯人探しは幕を開けたのであった。


翌日、早番としてシフトに入ったホウライはパソコンで事件発生日のスタジオの予約状況を遡って調べていた。ニュースで得た情報では、事件が起きたのは二十時から二十一時の間だという。その時間かそれよりも前に予約が入っていれば、その人物が事件に関するなにかを知っているかもしれないと思ったからだ。しかしその日の予約は十八時の二人を最後に、それ以降はAスタジオもBスタジオも入っていなかった。

交代で出勤してきたハスイケにそのことを話してみると、「俺も同じこと考えて少し前に調べたよ」と目尻を下げた。

「その日の最後にきたお客さんに話を聞いてみたんだけど、俺たちよりも早い段階で取り調べを受けたみたい」
「なんておっしゃってましたか?」
「ご夫婦でここを出てからは家までずっと一緒だったから、お互いにアリバイの立証ができて事件とは無関係だって警察も納得したらしい」
「良かったですね」
「うん。犯人は早く突き止めたいけど、願わくばここのお客さんじゃなければいいなって思ってる」

ハスイケの発言に、ホウライは大きく頷いた。

「私も全く同じことを思ってました。きてくださるお客さんを疑いたくはないなって」
「そうだよね。でもお客さんじゃないとすると、残りはカゲヤマさんの知り合いとかになるよね。それか通り魔みたいな感じでその日初めて会った人」
「少し前まで警察が色々とやってたじゃないですか。店内から犯人の痕跡とかは見つからなかったんですか?」
「それが一つも出なかったらしいんだよ。出てたらとっくにニュースで顔写真が出てるだろうし」
「それもそうですね」

つまり現在は犯人につながる手がかりはなにもないということ。引き続き調査は手探りで行うしかないようだ。

「せめて少しでも的が絞れればいいんですけどね」
「本当にそうなんだよ。選択肢が多すぎて、どこから手をつけていいのか分からないよね」
「とりあえず今日きたお客さんに雑談っぽい感じでなにか知らないか聞いてみましたけど、これといった収穫は得られませんでした」
「それは俺もやろうと思ってた。そう上手くはいかないよね」

ハスイケとホウライの口から、自ずとため息がこぼれる。

「とりあえず時間だし、上がろうかホウライさん」
「はい。お疲れ様でした」

ハスイケがシフトに入ってから一時間が経とうかという頃、自動ドアを潜り一人の男性が来店した。ハスイケはすぐに予約の情報を確認したが、この時間に予約は入っていない。つまりスタジオの利用客ではないということになる。

「こんにちは」

ハスイケがカウンターを出て入り口まで歩いて行くと、男性はきっちりと着たスーツの内ポケットから黒革の手帳を取り出した。

「カゲヤマさんの事件の捜査をしているケイジです。今日は事件のことでお話を伺いにきました」

すぐに懐にしまわれた警察手帳。一瞬見えた中身にハスイケは小さな違和感を覚えたが、なにをおかしいと思ったのかまでは分からなかった。

「お話なら一度警察署でしています。申し訳ありませんが今は仕事中ですので、」

お帰りくださいと遠回しに言おうとしたが、それは半ばで遮られた。

「お時間は取らせません。五分で構いませんのでご協力願えませんか?」

ハスイケは悩んだが、予約は三十分後まで入っていなかったため「分かりました」と了承した。

「警察署でお話し頂いたこと以外にで、何か気付いたことはありませんか?」
「ありません」
「どんな些細なことでも構いません」
「ないですね。あったら隠さずに話してます」
「そうですか。では……」

ケイジが続けて質問をしようとした時、背後にある入り口の自動ドアが開き客がきた。その客の対応をしていると、ケイジはハスイケに向かって一礼し帰って行った。客の要件はジェラート屋はここかという質問で、ハスイケが「ジェラート店は外を回って頂くとございます」と答えると「ありがとうございます」と店を後にした。

ハスイケが何気なく窓の外を見ると、ケイジの車がちょうど駐車場を出て行くところだった。

「紫のアリスか……」

近くにいる車をつい見てしまうのは、車好きの性であろう。


この日、四人は閉店後のテガミスタジオに集まっていた。調査状況の進捗報告と共有のためである。

「一週間くらい経ったけど、なにか分かったことあった?」

ハスイケがそう切り出すと、ホウライは「ないです」と苦笑いし、アクタガワは「ありません」と声のトーンをやや落とし、オトナシは「特にないです」と答えた。

予想はしていたが、そう簡単に見つかるわけもない。素人であるハスイケ達が数日で犯人を見つけ出せるのなら、警察はそれよりも前にとっくに犯人を割り出して逮捕に至っているはずだ。

「そうだよね。俺も色々調べてはいるんだけど、これといった成果はなしかな」

三人と同様に収穫がないことをハスイケが告げると、オトナシが「やっぱりそうですよね」と沈んだ声を出す。

「まだ始めてから一週間ですし、諦めずに頑張りましょう!」

暗くなりかけた場の空気を明るい声で塗り替えるホウライ。

アクタガワは「そうですね」と頷く。

「男性か女性かだけでも分かれば少しは探しやすいんですけどね。手当たり次第に探すには時間が足りませんし」

オトナシの言葉はもっともであった。四人の本業はあくまでテガミスタジオでの仕事。警察のように朝から晩までの時間を全て捜査に割けるわけではない。少しでも効率が上がるような手がかりが見つかれば、というのは誰しもが思っていることだった。

「でも一週間経っても何も出てこないってことは、そういうことに慣れているという可能性はありませんか?」

ホウライの推理に対し、ハスイケは「初犯じゃないってこと?」と聞き返す。

「はい。初めての犯行だとしたら、すぐに犯人の目星がつきそうなものじゃないですか」

ホウライの発言に対し、アクタガワは「確かにそうですね」と同意する。

「慣れている人の犯行だと仮定すれば、辻褄が合いますね」

オトナシもホウライの推理に頷き、「それか」と続けた。

「社会的に地位の高い人で、警察に圧力をかけて捜査を足止めしてる。あるいは警察内部に犯人がいる、とか」

「それは刑事ドラマの見過ぎじゃないかなオトナシくん」

ハスイケが微かに笑って返すと、オトナシは「そうですよね」と後頭部に手を当てた。

その後三十分ほど意見や考えを出し合ったが、どれも推測の域を出ず調査の範囲を絞れるようなものはなかった。

アクタガワ、オトナシ、ホウライが帰った後ハスイケは一人スタジオに残っていた。カウンター以外の電気は消灯したため、天井からぶら下がった電球の明かりがハスイケの顔に影を作る。カウンターに出したのは、どこから手に入れたのか鑑識が撮影した現場写真。無言でその写真を見下ろす横顔が何を考えているのかは、本人のみぞ知る。

店の戸締りをしたハスイケは、その足で家とは逆方向へと車を走らせるのであった。


オトナシが自分の部屋でパソコンを使っていると、近くに置いておいた携帯が振動した。

「ハスイケさん?」

仕事用の連絡はいつもグループトークか個人のトークに送られてくるため、ハスイケが電話をしてくるのは珍しい。というより初めてかもしれない。何か急用だろうかと思いながら耳にあてると、「もしもしオトナシくん? 夜分にごめんね」といつも通りのハスイケの声が聞こえる。

「お疲れ様ですハスイケさん。何かあったんですか?」

「今日電話したのは、仕事のことじゃないんだ。ちょっと個人的に聞きたいことがあって」

「なんでしょうか?」

明日はオトナシが早番、ハスイケが遅番に入っている。にもかかわらず今日わざわざ電話をかけてきたということは、急用である証拠だ。オトナシは微かに緊張感を覚えながら、椅子の上で一人背筋を伸ばした。

「今からラインであるギターの写真を送るんだけど、それについて知ってることを教えてほしいんだ。今日お客さんに聞かれたんだけど、俺楽器に関してはからきしだからさ」

「分かりました。分かる範囲でお答えしますね」

間もなく個人のトーク画面に送られてきたのは、見覚えのある派手な色のギターだった。

「これ、今うちで委託販売してるやつですよね。ウィルソンの1980年に出たハロウィンモデル」

「ハロウィンモデル?」

「はい。ボディーがオレンジと紫色でしょう? 発売日はハロウィン当日の10月31日です。ウィルソンは毎年ハロウィンとクリスマスモデルのギターを出すんですよ。中でもこれは全世界で50本ずつしか生産されなかったので、かなりレアです。好きな人からしたら大金をはたいても欲しい一本でしょうね」

「やっぱりオトナシくんは作曲もしてるだけあって、音楽だけじゃなくて楽器にも詳しいね」

「そんなことないですよ。俺なんてまだまだです」

オトナシが照れながらそう返すと、ハスイケは「いやいや、それだけ分かれば十分だよ。ありがとう」と電話越しに笑う気配がする。

「こんな簡単なことで良ければいつでも聞いてください! どういう音なのかとかだと答えられない場合もありますけど」

「ありがとう。頼もしいよ」

その後二言三言言葉を交わしてから「失礼します」と電話を切る。

窓の外はいつの間にかとっくに陽が落ち、夜の帳が降りている。

天井に向かって組んだ両手を上げ、長時間の作業により凝り固まった体を伸ばす。毎日こうして家で情報を集めているが、有力な情報は出てこない。オトナシの部屋の壁には好きなアーティストのポスターがあちこちに貼ってあり、棚にはずらりとCDが並んでいる。いかにも音楽好きの青年といった感じの部屋だ。

疲れてきたことだし、一旦調べ物を中断して夕ご飯を食べに行こうと椅子から立ち上がったオトナシは、一階へと降りていくのだった。

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