始まりの場所 ②「カトリック麹町聖イグナチオ教会 ザビエル聖堂」【喫茶 手紙寺分室ができるまで】
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これまで幾つかの大切な人との別離がありました。その時にはこころが裂かれるようなつらさがありました。忘れないといけないと決めていた分だけ余計につらかったのだと今では想います。
それでも、やっぱり不安な時は不安ですし、悲しい時は悲しさでいっぱいになります。そのような時に導かれるようにして訪れたのがザビエル聖堂でした。四谷の上智大学に隣接するイグナチオ教会の敷地にあります。前回記した東京逓信病院から歩いて行った記憶があります。
イグナチオ教会は入口が開放されており、守衛を通さずにふらっと入ることができました。正面の大きな扉を押して中に入ると、天井が高く陽光降り注ぐ主聖堂がありました。荘厳な雰囲気でしたが、不安や悲しみにこころが塞がれていた当時の私には落ち着くことのできない空間でした。すこし落胆しながら主聖堂の勝手口から廊下に出ると、小さな扉が目に入りました。入っていいのか戸惑いながらも扉を開けてみると、照明が完全に落とされた土壁の部屋がぼんやりと広がっていました。眩い主聖堂から出た私には目を凝らさないと見えない程の暗さでした。あらためて、あたりを見回すと、外の明かりを取り入れる窓があるだけの土壁に覆われた場所で、華美な装飾は全くない静謐な部屋でした。3人の礼拝者が真摯に瞑目しながら祈っているようでした。
この場所なら、私は身を置くことができる。そこにおられる方々に気を遣うこともなく、一人の時間を持つことができる。そう思いました。
そして、その静謐な空間に身を置き、私はノートを取り出し、父への手紙を書き始めました。手紙を書きながら、一緒の空間にいる複数の方々に紛れて居られること、自分のペースでゆっくり時を過ごせることに安堵しました。その後も、仕事に悩みあぐねると、この場所を訪ね、亡き父への手紙を書くことで、少しずつ前に進むことができました。
この部屋には水が流れる小さな池が設えられていて、常に流れる水の音が聞こえていました。最初に入った時、私には水の音は聞こえず、ただ、照明を落としたほの暗い空間だけが目に入りました。たぶん、私にはその暗さが一番大事だったのだと思います。後になって、そのほの暗い空間で聞く、水の流れる音も私のこころを落ち着かせてくれたのだと気づきました。27年経った今でも、この場所を訪ねることがあります。当時、悲しみや不安なこころで通っていた時とは状況も心境も異なりますが、私にとって大切な場所であることに変わりはありません。
出会いがあれば別れがある。頭では分かっていても、そのときの苦しさや悲しさは減ることはありません。忘れるように努力したり、気分転換したり、時間が解決していくこともありますが、悲しみが出会いの深さの裏返しだとするならば、悲しみのままに、出会えたことの意味を確かめる時間を持つことが私には必要でした。そして不安なこころを抱えたまま安心して過ごすことのできる場所、自分のこころを守るための場所が私以外の人にも必要なのではないかと感じました。それを私たちは「手紙寺」、「手紙処」と名付けて設立、広げていく活動をしています。
私にとってその場所は、あの人に手紙を書くための大切な場所です。ただしその手紙とは誰かに届けるための手紙ではなく、あの人と手紙を通して語り合い、自分らしさを取り戻すための「届くことのない手紙」を書く場所です。
以前に記事で紹介した成田空港のカフェも、ザビエル聖堂も、「手紙寺カフェ」の始まりの場所です。
「手紙寺カフェ」が、あなたのこころを守り、出会えたことの意味を確かめるための場所として、世の中に広がっていくことを願って、これからも活動を続けてまいります。