「あの人」への手紙 四通目
前回の手紙の続きです。ソウルでの滞在中は、あなたが仕事を終えるまでの間、街を歩いて気に入ったカフェがあればそこで亡くなった父に手紙を書いて、これからどうすればいいのかを相談していたんだ。
経営を助けてくれる母の知り合いも、仏法もどちらも大事だけど、そこに自分がいないように感じたんだ。そんなときに不思議なことだけど、相談したい人が父だったんだ。
あなたにも伝えていたように、私は父との関係は最悪だった。父は私をいっさい顧みず、私は父からは見放されていたと感じていた。あまりにも価値観が異なっていて相容れない関係と言った方がいいかもしれない。
しかし父の生涯で私が尊敬していることは、誰かのための人生ではなく、父は父の人生を生き尽くしたということだ。自分に与えられた業を尽くして生きた、と私は感じるんだ。だから父に相談するということは、自分に正直になれという父からの呼びかけに耳を澄ませることだったんだと思う。
そのために私は、お父さんと名前を呼びながら手紙を書いていたんだ。これからどうすればいいのか不安な気持ちを抱えたまま手紙を書くと父からは、
「城治、たった一度の人生だろう。俺のように、思いっきり好きに生きてみろよ」
そんな父の声が聞こえるように感じたんだ。
いま想い返してみても、父の応援のおかげで、誰かに言い訳することなく自分の業を尽くすことができたように感じるんだ。
当時はまだソウルへは羽田空港から定期航路が結ばれておらず、成田空港から仁川国際空港までの便しかなかった。飛行機に乗っている時間よりも空港から市内に入る時間の方が掛かるくらいソウルは渋滞がひどかったけど、それでも私にとってはその時間はどこにも所属しない、自由で楽しいものだった。
そして、それからのあなたは、私のために、自分の名前を変えてまで、日本に来ることになった。私のためにしてくれたことだから、結婚を前提として付き合い始めたよね。都内に家を借りて、ようやく普通の若いカップルのように付き合い始めることができて本当に嬉しかった。全ての瞬間が輝いていたように感じる。だけど、やっぱりビザのことが気になっていたことと、私たちの関係を心配した同門の僧侶から師匠に連絡があり、私たちの関係は公のこととなったんだ。師匠からはすぐに結婚するかケジメをつけて別れるかを提案されたんだ.あなたと出会った場所が飲み屋だったこともあり、周りにもずいぶん心配をさせたんだと思う。
あなただけを見ていればいいのに、私はあなたよりも世間体を見ていたんだ。そんな私にあなたは愛想を尽かして、日本に戻ってきてから2カ月目に帰国することになった。あなたをソウルに送るために成田空港へ向かう様子を今でも覚えてる。そして成田空港の第一ターミナルから出国手続きするエレベーターで最後にあなたが深くお辞儀したときの様子も忘れられない。
それから私は師匠や同門の仲間にメールを打ち、1年間は連絡を取らないこと.そしてもし1年後でも想いが変わらなければ結婚を前提に付き合うことに決めたんだ。こんなふうにして僕たちは別れたよね。
そして1年後、あらためて連絡を取るとあなたはシンガポールに留学していたんだ。気持ちをハッキリさせたくて僕はシンガポールまで会いに行ったよね。金融機関などで活躍している同世代の仲間を紹介してもらい、未来に向けて頑張っているあなたを知ることができて誇らしい気持ちにもなったのを覚えてる。滞在中は皆が気を遣ってくれて楽しい毎日だったけど、最終的にあなたは留学を続けること、そして私は日本で仕事を続けることを決めて別れたんだ。最後にどうやって別れたのか記憶は不思議とあまりないんだ。それはもう一度だけ日本で再会したときの思い出が強すぎるからかもしれない。
それはまた機会が訪れることがあれば話そうね。
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