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映画シナリオの構成を調べてみよう『男はつらいよ』第1作(1968)編

映画の展開をていねいに調べたら、ストーリーの作り方を学べるのでは。そう考えてまずは大好きな映画『男はつらいよ』(1968)からやってみた。

※以下、本作のネタバレをおおいに含みます。

わかったこと

  • 主要な登場人物にはそれぞれドラマ(起承転結)があり、主人公から遠い人物から完結させている。

  • 主人公の外側には、映画としての起承転結がある。

  • シナリオは、観客に疑問を抱かせないこと、ツッコミを入れさせないことが重要。ゆえに「勢い」は大事。(企画書やレポート作りにも通じそう)

映画『男はつらいよ』とは

今から50年以上前、1968年(昭和44年)公開の映画。TVドラマからのリブート的作品で、以降、シリーズ50作品が製作されている。

第1作をひとことで表現すると「20年ぶりに実家に帰ってきた男が、恋に破れて、再び旅に出る」物語だ。

もうちょっと詳しく書くと、
テキ屋(行商)をしながら日本じゅうを旅する寅次郎がふと、故郷・柴又(東京都葛飾区)に帰ってくる。そこには親代わりの叔父や叔母、そして異母妹・さくらが暮らしている。単純で喜怒哀楽の激しい性格の寅次郎は、周りの人たちをかき回す。一方で自身は、恋をする。相手も好意をもっているように見えなくもないが結局はフラれ、ふたたび旅にでる。寅次郎にとっては失恋の物語だが、周りの人たちは、彼の言動に影響された結果、以前より幸せになっている
……というあらすじ。

なおこの展開は、シリーズ作すべてに通じるものでもある。(寅次郎が惚れる相手は「マドンナ」と呼ばれる)。

舞台となる葛飾・柴又で見かけたネコ。正座してる。

映画の構成を調べるために

まず、映画を観ながら、劇中で起きるドラマ(イベント)をひとつずつ書き起こしていった。

こんな感じ。次から次へとイベントが起きている。

最後までやったところで、これを主要な登場人物ごとに分けていった。
物語の中心となる登場人物としては、寅次郎(渥美清)、異母妹・さくら(倍賞千恵子)、隣の工場で働く工員・博(前田吟)がいる。

作品全体を100%として、何%の時点でそれが起きているかも記載した。

登場人物は一度に登場させず、寅次郎→おばちゃん(叔母)→おいちゃん(叔父)→さくら→博と分けて見せる細かな配慮がなされていることがわかった。おいちゃんとおばちゃんは夫婦なのだから、一緒に登場させてもよさそうなものだが、ちゃんとひとりずつ観客に「紹介」しているのだ。すごい。

博にとっての『男はつらいよ』

まずは工員・博の物語から見ていく。起承転結はこちらで分けたものであることをお断りしておく。なお、各できごとの横の数字(%)は、作品全体を100%としたとき、およそどの時点で起きているかの指標である。

ちなみに父親を演じるのは『七人の侍』勘兵衛でおなじみ志村喬

博の物語は、映画が始まる前から始まっている。隣の家に暮らすさくらのことが好きなのだ。それが寅次郎の帰郷によって、具体的に動き出す。妹思いの寅次郎とは敵対するものの、やがて慕うように。しかし寅次郎の早とちりによってフラれたと思い込み、工場を飛び出してしまう。それが契機となって、結婚に至る。また、疎遠だった両親とも和解している。

博が働く印刷工場の雰囲気(葛飾柴又寅さん記念館で撮影)

さくらがみた『男はつらいよ』

次は、さくらの物語。さくらもまた、寅次郎の帰郷によって、人生が動き出す。

20年ぶりに兄と再会した次の日がお見合いというハードスケジュール

乗り気でなかった見合いは、叔父の代わりに寅次郎が出席したことでぶち壊され、寅次郎の言葉を信じた博も出ていってしまう。しかし、そのことで博の気持ちを知り、自身も博のことが好きだったと気づく。2人は結婚。その後、寅次郎は旅に出てしまうが、1年後には長男・満男をもうけ幸せに暮らしている。

ここでも寅次郎の介入によって幸せになるという構図がある。また、博とさくらは結ばれるわけだから同じような物語になりそうだが、博には「大学を出ていない者にさくらはやれない」と告げられる「障壁」を乗り越える、両親との和解という独自の展開があり、さくらにも寅次郎との再会・別れ、出産(報告シーンに博は出てこない)という展開が用意されている。とても真摯なシナリオだ。

寅さんにとっての『男はつらいよ』

そして、主人公・寅次郎。傍若無人な振る舞いで周りの人たちとケンカしてばかり。耐えきれなくなって旅に出たところで、近所の寺の娘・冬子と出会い、恋に落ちる。

舎弟・登とのやりとりも見どころ

しかし、冬子には婚約者がいたことを知り、再び旅に出る。叔父や叔母、妹・さくらにも別れ告げ、寅次郎を慕う舎弟・登も突き放す。が、1年後には、楽しそうに登とともにテキ屋稼業にいそしむ姿がある。

3人のドラマを並べてみると……

この3人の起承転結をあわせてみると、次のようになる。

起・承・転・結をそれぞれ赤・青・黄・緑で色分けした。

見事に起承転結の入れ子構造ができあがっている。
主人公・寅次郎からもっとも遠い博から順に、ドラマを完結させていっているのだ。登場するのも寅次郎がもっとも早く、博が遅い。脚本の山田洋次と森崎東が、大中小のドラマを巧みに組み合わせていることがわかる。しかもそれらは独立しているわけでなく、互いに絡みあっている。

のみならず、ここに叔父・叔母夫婦のドラマがあり、舎弟・登のドラマがあり、冬子のドラマが加わる。これを約90分の作品としてみせるのだから、とにかく密度が濃い。面白くならないはずがない。

あらためて気づいた細部のこだわり

今回観なおして気づいたことのひとつに「冬子の婚約者の職業」があった。
劇中、寅次郎は工員・博に「大学を出ていないやつに、(妹の)さくらはやれない」と言う。大学に進学せず、工場で働く博はこの「壁」を乗り越えてさくらとの結婚に至るわけだが、寅次郎自身が惚れた冬子の婚約者は「大学の先生」だった。

つまり寅次郎は「大学を出ていない」がために、冬子と結婚できなかったともみることができる。思わず口をついて出た言葉に、自身が苦しむ結果となったが、寅次郎はそれを受け容れざるを得ないのだ。この切なさ。細かなところまで練られている。

多少の不自然さは「勢い」でカバー


一方で、あらためて観ると、不自然な点もなくはない。

そのひとつが博とさくらの結婚式だ。ここには疎遠だったはずの博の両親が出席してるが、当日まで博は知らなかった。では、誰が呼んだ(招待した)のか。たとえば、工場の社長がこっそり電話をしているなど、1シーンでも描写があってもよかった。

またこの結婚式の場面は感動的で、漫画『じゃりン子チエ』のミツルの結婚エピソードなどにも影響を与えていると思うのだけれど、感動的であるがゆえに、物語に一区切りついたようにみえる。結婚式の場面は、全体の70~75%あたりで、物語全体としては「転」にあたるのだが、「結」のようにもみえるのだ。そのため、この後の寅次郎の失恋が弱くなっている。(偉そうな書き方になってしまうけれど)妹・さくらの結婚と寅次郎の失恋とを並行して描く方法もあったのではないだろうか。

御前様(笠智衆)が住職をつとめる柴又帝釈天(題経寺)

とはいえ、これは『男はつらいよ』を繰り返し観たからこそのわがままであって、ふつうに観れば、気にならない。それだけ作品全体に勢いがあるのだ。不自然な点を、立て続けに起きるドラマでうまく隠している。勢いはとても大事だ。

(まとめ)つまりはやっぱり名作だ

シリーズのファンで、『男はつらいよ』第1作を観るのももう何度目かわからないくらいだが、シナリオの構成を調べてみて、その緻密さに驚くとともに、初めてその面白さの理由を、自分なりに言語化できたように思う。

強引に仕事に結びつけていうならば、この構成はライターとして執筆する際、会社で企画書をつくる際にも活かせそうだ。読む人、見る人を飽きさせることなく最後まで話を聞いてもらい、感動させるためには、まず大枠を作ったうえでツッコミが入りそうなところを丁寧につぶす。または「勢い」で気づかせにくくするのだ。

そしてこの調査のためにあらためて『男はつらいよ』を観終えたあとには、やはり満足していることに気づく。自分もまた、寅次郎の周りの人たちと同様、寅次郎に振り回された結果、「以前より幸せになっている」のだった。

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