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イブの夜に、モテなかった思春期の話

先日『M−1グランプリ』を観ていたら、あるコンビが「お笑いはいいことがなかったヤツの復讐劇」だと言っていて、ふと思い出した。思春期のころ、モテなかったころの話だ。

中学2年のとき。放課後、ひとり昇降口(←懐かしい言葉)に行ったら、同級生の友達と、彼と付き合い始めたばかりの女子が楽しそうに話していた。

僕に気づいた女子が「ちょうど今、2人であんたの話をしてたとこやったんや。『面白い人や』って」と言った。彼女はもちろん、いい意味で言ってくれたんだけども、女子と縁のなかった僕は、その言葉になぜだか傷ついた。

どういうことか、というと。

たとえばそのとき、彼女に「そんなに面白いんやったら、僕と付き合ってくれる?」と言ったとしたら、即座に断られただろう。また、彼氏である友達に「彼女が俺を『面白い』と思ってるらしいから、別れてくれ」と言っても、断られただろう。そう考えると、僕にとって彼と彼女は、付き合う相手をいわば「保持」しながら「僕」という他人を楽しんでいるように感じたのだ。それは思春期の男子にとって、まさに選ばれし者だけに許された態度のように思えた。なんだか見下されているような気がしたのだ。

いま振り返れば、ひねくれてるなあと思うけども、当時はそんな余裕もなかった。「面白い人」を「いい人」に替えれば、少しは共感してもらえるかもしれない。特に思春期には、こうしたちょっとした言動が、人間の「芯」の部分を(悪い意味で)打ってしまうことがあると僕は思う。

幸いにも僕は、20代以降をモテモテのモテで過ごしてきたから、そうした怨念のようなものはいつのまにか消え去ってしまったけれど、思春期に異性と縁がなかったことで、以降の人生を、まさに「復讐」のごとく生きざるを得ない人たちがいるのもよくわかる。

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