バレーボール🏐vol.1
みなさまこんにちは☀️
前回はプロフィールについて
書かせてもらったのですが
今回も「福元浩太郎♂」のプロフィールの
延長線のような投稿になります🙇♂️🙇♂️
を、書いていこうと思います。
お時間ある方はぜひ最後まで読んでいただいて
スキ🩷 をよろしくお願いします🫰🫰
ちなみにトップの画像は大学3年生の時の
「7番」西本圭吾(現:東レ)
「8番」三好佳介(現:ヴィアティン三重)
「10番」僕ですね。
つまらない話をすみません☺️✌️
それではいってみましょう🚙💨
経歴
鞍手ジュニアバレーボールクラブ
鞍手北中学校(現:鞍手中)
東福岡高校
福山平成大学
ヴィアティン三重(先日退団)
まず僕は小学1年生の10月頃🤔に
バレーボール🏐を始めました。
僕の家族は7人家族で、5人姉弟であり、
「姉姉姉姉僕」の構成となってます。
姉4人のうち、長女以外はバレーボールを
小学生からしていて、次女、三女、四女とも
「鞍手ジュニア」の女子チームに
入っていました!!
鞍手ジュニアは、男女とも同じ体育館で
練習をしており、小さい頃から姉たちの
お迎えに、体育館に何度か行っていました。
そこで姉のお友達?(鞍手ジュニア男子の人)
に誘われたのがバレーボールを始めた
きっかけとなります🏐。
この先輩からのお誘いがなければ
姉達はしていても、僕はしていたかどうか
わかりません🥹🥹笑
今思えばそこから始まりました。
ジュニアの大会は、数えきれないほどあり、
毎週のように、大会に出たり、
練習試合に行ったり、
他チームが練習試合に来たりと。。。
それであって、練習は金曜日が休みで
残りは毎日、学校終わって練習の日々。
思い返せば、今よりもきつい毎日のはず。
バレーボールを始めると、
まず、練習の時はボール拾いばかり。
もちろん小学1年生なんてそんなものです。
そして、僕は小学3年生から
本格的にセッターをやり始めましたが、
先輩にセッターがいたため、
先輩が怪我をしてしまった時くらいしか
試合に出場することはありませんでした。
※ちなみに先輩セッターは、
2つ年上の方だったので、
僕は、5年生からレギュラーとして試合に
出始めました☝️
ジュニアバレーで1番大事な大会は夏の県大会。
この大会こそが、全国大会へ行けるかどうかが
かかっている大会です。
この県大会は、
優勝チームのみが、全国大会へ、
Best4に入った残りの3チームが、九州大会へ
行く権利が得られます。
4年生、県大会準決勝で敗れ、初の九州大会。
5年生では決勝で敗れ、2度目の九州大会。
5年生の時の県大会では、決勝までの道のりで
金子聖輝さん や 古賀健太さん のいるチーム
とも対戦しました。
6年生に入り、セッターは同い年の
バレー歴、やや浅い子に任せ、
僕はスパイカーを始めました。
ローテーションがないジュニアバレーでは
僕が真ん中でサーブレシーブをし、
真ん中からスパイクを打つという。。
今では考えられないですね🥹🥹笑
大会の時期が近くなると、
平日練習なんかでも、女子チームと
ゲーム形式をやったりするのですが
それがまた僕にとっては苦痛でした。
僕自身、サーブレシーブは得意ではないし、
スパイクにも自信はあまりありません🤣。
でも僕以外に打てる子もいなくて。
なのに女子チームは、県大会優勝して
全国大会に出場している代でした。
負ければ当然怒られる。
女の子に負ける。なによりきつかったです。
そして僕がバレーボールを辞めたくなったのは
人生で2度あります。
何年生の時かは忘れましたが、
ジュニア時代がそのうちの1回です。
なんとか続けてこれて、6年生の県大会。
結果は1回戦負け。
なんともあっけなく負けてしまいました。
「自分の代で結果を残すことができない」
これが、現在24までの僕の人生の中で、
何度か経験することになります。
皆様ここまで読んでいただき、
ありがとうございます☺️☺️👏
今回は「ジュニアバレー」のみを
書きましたが、のちに「中学〜」を
書こうと思っております🙇♂️!
ぜひ次回も読んでいただけると嬉しいです🙏
そして、よければ スキ🩷
もよろしくお願いします👏