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【エッセイ】何でミッキーとグーフィーは友達なのにプルートはペットなの?同じ犬なのに

この質問はYouTube番組「太田上田」爆笑問題の太田光が発言し、私の中でほんのちょっとだけ引っかかっていた。(下記動画10:40~くらいから)

本音としては、正直、本当にどうでもよい。

ただそれで切り捨てちゃうと話が終わっちゃうので、自分なりの考察をまとめてみた。

コミュニケーション能力

皆さんご存じの通りグーフィーは「アヒョアヒョ」と言いながらも当たり前のようにミッキーと話している。一方プルートは言葉を話せない。同じ犬なのに。あの世界ではグーフィーが異端なのかプルートがアホ過ぎるのか。ディズニーに詳しい方いたら教えてほしい。

少なくとも意思疎通が取れなければ、ミッキーと対等に話し合うことができない。

参考として、LOVOTというペットロボットがいる。このロボットは高機能愛玩ロボットとして人気を博しているが、このロボットも喋らず人間を画像センサーで認識して近寄って来るだけ。現代のテクノロジーならAlexaのような音声認識機能を搭載して喋らすことも可能だけど、あえてこの機能を組み込まなかったと考えられる。

自立心

グーフィーは自分の力で生活できる。何なら家庭を持っているし、マックスという息子まで存在する。私のような独身からすると、「グーフィーさん、かっけえっす!」となってしまう。翻ってプルートは餌をミッキーからもらっているし、ミッキーに遊んでもらっている。何なら首輪までついている。同じ犬なのに。

これが自由を渇望する少年漫画の主人公なら「駆逐してやる!」といってミッキーと壮絶なバトルを起こしているだろう。

まとめ

私はこの二つがミッキーが犬っころに対して友達として接するか否か判断する基準なんじゃないかだと思う。現代だと社会的ステータスや学生時代共に過ごした仲間だったりするけど、ディズニーの世界はそこまでシビアにはならないでしょう。夢の国だし。





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てふなむのエッセイノート
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