衝動。オードリーのせいだ。

めちゃくちゃ久しぶりにnoteにログインした。アカウントを持っていたことすら忘れていた。なぜ思い出したか。なぜ思い出してこれを書いているか。


理由は一つ。武道館でオードリーを見たからだ。衝動が抑えられなくなったのだ。自分のこの気持ちを、あの感動をどこにも吐き出さずにいることはできなくなった。


今回、僕はただのお笑い好きではなく、リトルトゥースとして見た。ちなみに一人で見た。思ってたより一人で来てる人は多かったと思う。そして意外にも一人でも肩身は狭くなかった。多分、一人だろうと多数だろうと、皆「リトルトゥースである」という誇りという名の恥じらいを共有しているからだろう。まあ、それはそれとして。


入場してからしばらく時間が経ち、もうすぐ開演、というところで、ふとスクリーンを眺め、二人の顔と名前を見ていた。ぼーっとしていたというよりは目がスクリーンから離れなかった。彼らも20年前は自分と同じ無名の大学生で、30歳になるまでずっと不安が追いかけてくる中、光の見えない道をひたすら進み続けていた。トークライブは春日の家で行い、来た人の数は7人。そんな二人が武道館でライブ。スクリーンには二人の顔と名前が映し出されている。

なんて人生なんだろうか。実は僕はお笑い芸人を目指していた。ネタも書いていたし、オーディションも受けた。でもそれはとうとう叶わなかった。僕には親の反対を押し切る勇気はなかった。でも本当は僕もあの二人みたいに出口の見えない暗闇を走りたかったし、激流に飲まれないように岩にしがみつきたかった。

そんなことを考えていた。そしてとうとう始まり、大歓声の中、二人が出てきた。僕は泣いてしまった。なんとか涙がこぼれないようにこらえていた。僕はオードリーに憧れてお笑い芸人を目指していたのだ。あんなとんでもないコンビになりたかったのだ。

というわけでございます。いろんな方が武道館ライブについて書いてらっしゃるので今さら内容について触れる必要はないですね。ただ、初っ端から「いやー、岡田よ。」で始まったのは虚をつかれたけど、ものすごい安心感がありました。それと同時に、その一声で会場が笑いに包まれて、本当に、ここにはリトルトゥースしかいないんだなって実感しました。

深夜のあの時間、同じことで笑っている人たちが武道館に来てる人だけであれだけいて、さらにライブビューイング、これなかった人たちも大勢いるって考えると、なんだか不思議な気持ちですね。周りにリトルトゥースがいないのも不思議だし。

楽しかったです。今僕は就活をしています。あんなコンビになる夢は捨てたと言います。でもオードリーはいつまでも僕の夢であり、人生の一部であるでしょう。

あれから僕はspotifyで浅草キッドを聴きまくっています。なんてトゥースなんだ。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?