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ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア 第5話

【前回の話】
第4話https://note.com/teepei/n/n15a39b4d3582

 売りにしているカレーが懐かしくてうまそうだったから、という理由で、年季のいったレンガ造りの店に入る。

 テーブルも椅子も古めかしく、その分よく手入れされていた。
 注文したポークカレーは素朴さに惹かれたためで、『海を見たことだしな』と呟いた木村はシーフードカレーを頼む。
「海を見たことがなかったんだ、実は」
 夏休みに誘った海を、やはり断った木村を思い出した。
 申し訳なさそうでありながら、決意を秘めたように口を固く結んだままだった。
「そうか」

 店内にはスパイスのにおいが漂い、食欲を刺激する。

「そう。この歳までね。親は忙しいし、ひとりで行くほどの勇気もないしね」

 そして誘ったとしても断ったわけだから、木村には海に向かう術がなかった、というところだろうか。

「でも、こっちに出てきたなら機会はあったんじゃないのか」
「それが全く。
 一人で暮らしたら、なおさら人と交わる機会が減ってね。
 ほとんどバイトで過ごしたな。
 それでもわずかに友人はできたけれど、結局は似た者同士だからさ。
 みんな出不精で」

 カレーは思ったより仕上がりが早く、まずはポークカレーが届く。

 先に食べなよ、と促されながら、気になったことを口にする。
「友達、できたのか、こっちで」
「ああ、まあ…」
 照れくさそうに笑う木村に、安堵する自分がいた。

 受験の頃、一人で木村の台詞を反芻していたことを思い出す。

「そうか」
「なあ、卒業式に『君を許す』って言ったことを覚えてるだろ」

 動揺する。

 それほど表情に出ていなかったと思うが、ああ、と答えた響きには動揺を隠そうとする曖昧さが現れた気もする。

「だからさ、もう気にするなよ」
 ああ、と答え、やはり微かに曖昧な響きを帯びている。

 卒業式までに、すべてを許す十分な時間があるように思えなかった。
 こちらは許しを求める自覚さえ持ち得なかったというのに。

 何故、と問いかけようとして、シーフードカレーがやってきた。
「食べよう」
 
 シーフードカレーは想像していたよりもおいしそうで、様子に目を奪われる。

 しかしポークカレーも負けてはいない。

 妙な負けず嫌いを発揮して視線を戻し、手を合わせる。
「いただきます」

 久々に満たされた気持ちになり、その自分を笑ってしまう。

 死ぬことに清々しささえ覚えた人間が、今さら美味しいものに満たされている。

 滑稽だが、満たされた気分になったのはいつ以来だろうかとも考える。

「やっぱり美味いものを食べるといいよな。それだけで幸せになれる」
 そう言い放った木村もまた、満たされた笑顔になっていた。
「単純だな」
「悪いか」
「いや、単純がいい」
 そうだな、と笑う木村は懐かしかった。
(続く)

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