駆け抜ける狂騒と一条の郷愁 第30話
「まあ、あくまで気配だが」
隻腕の男が軽くため息をつく。
「だから、お前達はお前達で先へ行け」
そう告げ、相変わらず少女に話しかける男と、その隣に座る蛙男へ、隻腕の男が熱のこもった視線を送る。
「そう、俺達でなくてもいい。
誰かが、この記述を超える可能性を見出してくれるなら」
そう言うと、隻腕の男が六万の軍勢に向く。
片手を挙げ、腹の底から響く声で言う。
「これより、物語の根源へ進軍する」
その途端、戦艦群が現れた。
「あれは」
「この六万の中で、戦艦の登場する物語がある。
そこから拝借した」
人影が整然と、戦艦へ向かう。
「それでは、俺達は行く。達者でな」
あっという間の別れに、Aは思い入れさえ追いつかない別れを告げる。
「おい」
と男達へ向けて、隻腕の男が話し掛ける。
「頼んだぞ」
まるで男達が本当の希望であるかのように、今や隻腕の男の掛ける期待は熱い。
それであれば、この進軍に意味などあるのだろうか。
しかしそれは誰にも分らず、そのために一度信じた道を突き進むしかないのだろう。
六万の移動と旅立ちを見守り、そもそも近いとされた物語の根源はどこにあるのだろうと、戦艦の推進する中空をAは眺める。
「なんだか、良く分かりませんが行ってしまいましたね」
Aが呟き、ええ、と魔王が答える。
「それじゃあ、私もそろそろお別れだ」
と、Bが立ち上がる。
「彼らを迎える準備をしなくては」
「彼らと戦うのですか」
「物語の根源とは、全ての物語を指す。
私は原初の物語のひとつとして存在はしているが、根源の一部でもある。
つまり、彼らと対峙せざるを得ないし、君達も違う形であれ物語に反旗を翻すのであれば、やはり対峙せざるを得ない。
だからここでお別れなんだ」
そう話すBの表情は、どこか寂しげだった。
「でも忘れないで欲しい、この先、袂を分かつとしても、私は君達が私の登場人物だったことを忘れず、大事に思うことに変わりはない。
どの登場人物にだって、いなくてもいいなんて思ったことはないよ。
A、特に君は存在が不安定で、いつも自らの薄弱さに気付いては崩壊へ近づいた。
でも、もう大丈夫そうだね」
Bの笑みはいつにも増して柔らかい。
「君は、ようやくAとしての己を手に入れたんだ。
これからは好きに生きていいんだ」
「しかし、これから対峙するかもしれない」
「それでもいい。
君は、うちに招いて料理を振る舞ったことも設定によって書き込まれた記録だと思っているけど、違うよ。
実際にあったんだ。
それは君の記憶だ。
その記憶にある感情は、君のものだ。
それを忘れるな」
すべては、Aのためにしたことだった。
物語のはずれで、最も設定の薄いAを気に掛けていたのがBだったのだ。
物語は、そこに出てくるすべての登場人物を愛し、隈なく思いやりを捧げる。
そして捧げられたものがAの、Aだけの記憶だったのだ。
「それじゃあ」
とBが手を差し出す。
ああ、とその手をAが握る。
Bは魔王に目礼し、その他にも同じく目礼を送る。
するとそのまま、姿を消したのだった。
「Bさんもいってしまいましたね」
魔王が言う。
はい、と答え、Bの立っていた場所をAはいつまでも見続ける。
「さて、我々はどうしますか」
「私は、どうやら置いてきぼりを食ったようなので、彼らに同行します。
他に行く場所もありませんし」
珍しくカヅマが声を上げた。
「そう言えば他の方々は」
「屋敷から避難したときに、元の物語へ戻れたみたいですね。
私だけ、物語性に憑りつかれたまま、帰る道を失いました」
そうですか、と魔王が応じる。
「それじゃあ、我々も彼らに同行しますか」
と例の三人を見る。
その気配を察し、男がこちらに向き直る。
「しかし同行って言っても、俺、物語の穴の気配なんてわからないぞ」
「え」
「いや、鰐男の口は偶然だったわけだし」
物語の穴による移動は備えていない。
確かに、隻腕の男はそう言っていた。
ふと聞き流した科白に重大な過ちが隠され、今さらAは痛感する。
そういえば、と魔王も珍しく狼狽した気配を見せる。
「まあ、頑張ってみるよ」
男の科白はあてもなく、ゆきずりで結成された異色のパーティは早速足止めを余儀なくされたのだった。
(第二部 完)