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「1980年代の布袋寅泰」というNew Wave(2019.6.8 DJ雑感)

2019年6月8日(土)に、渋谷DJ BAR EdgeEndでというDJイベントでDJをやらせてもらいました。主催のひろみさんや声をかけてくれたなまずさん、その他関係した皆さんには本当に感謝しかありません。
13人が1人@20分間 という持ち時間の中で好きなテーマで曲を流す、13人の共通点は「NECRONOMIDOLのファン」という一点のみ、示し合わせたわけではないのに面白いように十三人十三色の内容となりました。(前回のネクロ盤魔殿(初開催2019.3.9)の様子はこちら

今回自分のテーマは「1980年代の布袋寅泰」。4月の終り頃酔っぱらった際に閃いた「テキトー」なものでした。20分だし、あの曲とあの曲でおしまい、みたいな。ところがいざ選曲作業に入ると「テキトー」に済ませられる気配は無し。何せ多感なロー・ティーン期にBOØWYにKNOCK OUTされ、『Player』誌、『Guitar Magazine』誌、NHK-FM「ミュージック・スクエア」等を通じてその音楽性の深淵に触れ、ギターを始めてバンドを組んだ一人として、自分のルーツ深掘りの旅にならざるを得なかったのです。

【当日の音源】
Soundcloudに私がDJした20分の音源をUPしてみました。暇な方は聴きながら、以下の駄文をお読みください。
https://soundcloud.com/tgxebiflhjkj/mixdown-airrec-baredgeend-20190608

【1980年代の布袋寅泰とは】
布袋のキャリアは、BOØWY(当時「暴威」)結成の1981年からAUTO-MOD、THE PETSといったバンド、数々のスタジオワーク等を経てソロ名義1st「GUITARHYTHM」をリリースした1988年までを第1期と括ることが出来ます。つまり、ここがほぼイコール今回のテーマ「1980年代の布袋寅泰」。私が好きな布袋はまさにこの時期で、もっともNew Waveしていた時期。
メインストリームで爆発的に売れたBOØWYのイメージが強過ぎて、どうしても歌謡界のイメージが付いてしまった感があるが、今回の選曲は本来もっとROCK文脈で語られるべき布袋寅泰を、非公式音源も絡めて紹介したい、という思いもありました。
さて前段が長くなり過ぎたので、そろそろ流した各トラックの薀蓄に移ります(笑)。

DJせまし プレイリスト(2019.6.8)
<アーティスト名|曲名|アルバム/Single名>*非公式音源
1. BOØWY|Do The Afrockabilly|live at Shinjuku LOFT 1984.3.31
2. 布袋寅泰|Waiting For You (Tension mix)|GUITARHYTHM
3. BOØWY|OH! MY JULLY Part II|live at Shinjuku LOFT 1984.3.31*
4. 山下久美子|Why|POP
5. AUTO-MOD|Dangerous Communication (Tsubaki mix) |DEATHTOPIA
6. THE PETS|Across The Rainbow|live at Shinjuku LOFT 1985.2.2*
7. AUTO-MOD|時の葬列 (Witching Hour mix)|時の葬列
8. BOØWY & SUZI QUATRO|THE WILD ONE|「MARIONETTE」EP
9. 星野アイ|コンガラ コネクション|「ストップ!! ひばりくん!」EP

【トラック解説(うんちく)】
1. BOØWY|Do The Afrockabilly|live at Shinjuku LOFT 1984.3.31*

ライブハウス時代のBOØWY/暴威は1982年後半頃に音楽性をドラスティックに変えた(PUNKからNew Waveへ)ため、6人いたメンバーのうち2人が脱退したり、多くの古参のファンが去って行ったものでした。その転換期、1983年初頭から自らの音楽を「アフロカビリー(Afrockabilly)」と標榜し、4月からはアフロカビリーと銘打ったシリーズGIGを展開します。「アフロビート」と「ロカビリー」の融合という意味を込めた造語で、「Do The Afrockabilly」という曲は、この時期からライブのレパートリーに加えられた、いわば「アフロカビリー宣言」のような曲。元ネタはBOW WOW WOWが1981年にリリースした1stアルバム「See Jungle! See Jungle! Go Join Your Gang Yeah, City All Over! Go Ape Crazy!(邦題:ジャングルでファン・ファン・ファン)」収録の「Sinner, Sinner, Sinner」↓でほぼ間違いないです(笑)。
https://www.youtube.com/watch?v=h4d5m9Zi-iA

高橋まことのドラミングを前面に出したインストナンバーで、曲名の部分を布袋が歌う構成。時期によっては氷室狂介が歌っているヴァージョンもあります。ちなみにアフロカビリー的な曲として当時演奏されていた「Boogie」「Atomic Cadillac」「Midnight Runners」「Rats(Afrockabilly ver.)」といった曲群に共通していたのはバスドラムを高速シャッフルビートで刻む点で、恐らく要ツインペダル。残念ながらこれらすべて公式音源としてリリースされませんでした。「Midnight Runners」だけ後年リリースされたDVD BOXに収録された1985年3月12日マーキークラブ(ロンドン)でのライブ映像に含まれています。
さて、よくよく聴くと今回流した音源、冒頭に音質の悪い、深いディレイをかけた布袋の声が入っていますが、良音質音源の本編(1984.3.31新宿ロフト)とは別途、1984年7月10日・京都BIG BANGでの同曲オープニング部分を拝借してくっつけています。84年7月「BEAT EMOTION」というシリーズGIGがスタートし、そこで何度か披露された「Do The Afrockabilly」は布袋のマイクにロングディレイをかけたダブ色の強いヴァージョンになっています。ただ良音質で残っているものがないため、苦肉の策で移植編集しました。

2. 布袋寅泰|Waiting For You (Tension mix)|GUITARHYTHM (1988)

ソロ名義1stアルバム「GUITARHYTHM」のB面1トラックめ。初めて聴いた時からリズム隊がKILLING JOKEの2nd「What's This For...!」に収録されている「Tension」と同じやんけ、と思っていて、今回BPMを微調整してバックトラックを「Tension」にした特別なトラックです。オリジナル「Waiting For You」が打ち込みでジャストビートなのに対し「Tension」は人力ドラムでジャストではないため、シンクロさせるのが大変でした(苦笑)。ただオリジナルの淡々とした打ち込みリズムと違って、独特のグルーヴ感が出ていて、割と好きです。当日DJブースにいて、すぐに「キリング・ジョーク?」という声が聞こえてきたので、おー流石わかっていらっしゃる、と嬉しかったですね。
「Waiting For You」の原曲はこんな感じです↓。スタジオver.がなかったので1991年雨の富士急ハイランドの動画をどうぞ。これ観に行きました~。ジグ・ジグ・スパトニックのニールXが白いギターを弾いてるの、わかります?
https://www.youtube.com/watch?v=GTA8UBvbjw4

KILLING JOKE「Tension」はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=r11KVYiLoNk

3.  BOØWY|OH! MY JULLY Part II|live at Shinjuku LOFT 1984.3.31*

今回テーマを決めた際、いの一番に思い浮かんだ「これを流したい」曲がコレ。2ndアルバム収録のスローナンバー。BOØWY史の中で不当に評価が低いので、同曲の最高パフォーマンスといえる深めのディレイをかけダブ色のある84年3月31日ロフト音源を頭から最後までフルで流しました。原曲のタイトルは「ロリータ」で歌詞も若干異なっていましたが、アルバム収録の頃には「OH! MY JULLY Part I」との連作扱いでPart IIとタイトルを変更。ちなみにライブで氷室が次の曲を紹介する際に「ロリータ」!と言うと、フロアから女性ファンの悲鳴というかブーイングが発せられることもありました。この曲の評価がイマイチ高まらない理由は幾つかあって、まずライブでの演奏頻度が低かった点。同アルバムに演奏頻度が高かったもう1曲のスローナンバー「THIS MOMENT」が収録されていて、要はスローナンバーのかぶりを避けるように「~Part II」はセットリストから外されがちだったのでは?というのが私の推察です。また1987年夏に行われたBOØWYの全キャリアほぼ全曲を一挙に演奏するライブ「CASE OF BOØWY」でも披露されなかったです。なおこの曲はBOØWYの中でも数少ない「作詞・作曲ともに氷室」曲です。
今回のプレイリストの#1 と #3 が同じ84年3月31日・新宿ロフト音源を使用していますが、この日のライブテープは恐らくBOØWYの中でもっとも多く広まったモノで(私の田舎にも流布していた)、演奏レベル、グルーヴ、録音状態から評価してライブハウス時代(1981~84年)の非公式音源ではベストと言っても過言ではない出来です。

4. 山下久美子|Why|POP(1987)

ここで雰囲気を転換させる高速ビートのナンバーを。1985年12月に布袋は山下久美子と結婚、自然の流れで布袋は妻・山下久美子の作品をプロデュースすることになります。「1986」「POP」「Baby Alone」の3枚のアルバムを「布袋3部作」と呼ばれ、BOØWYと並行して制作された山下久美子史上もっともROCK色が強い作品です。それゆえに「布袋のオーバー・プロデュース」との評価も少なからず、古参の久美子ファンからは不評のようです。「Why」を収録した「POP」に関して、当時のギター雑誌で布袋はインタビューで「ラモーンズのような音楽をやりたかった」と話しており、3枚中もっともROCKテイストのある、布袋ファンにはたまらないアルバムなのです。余談ですが、BOØWYの人気がうなぎ上りだった「布袋3部作」期に、BOØWYの、布袋のファンが山下久美子のライブへ一挙に押し寄せるようになります。まぁ、布袋見たさもあるし、楽曲やアレンジがBOØWY好きにはたまらないですからね。この状況を山下久美子が非常に嫌い、その結果「Baby Alone」をリリースした後のツアーを最後に山下久美子はいったん活動を休止してしまいます。ですので1988年という年に、布袋はBOØWYと山下久美子という2つを“解散”させたことになります。
1988年汐留PITでのLIVE ver.が特にヤバいです。池畑潤二のドラムに尽きます!
「Why」山下久美子↓
https://www.youtube.com/watch?v=Tj-k3EpgnBY

5. AUTO-MOD|Dangerous Communication (Tsubaki mix) |DEATHTOPIA(1984)

80年代の布袋を語る上で絶対に欠かせないのがAUTO-MOD。布袋(と高橋まこと)がAUTO-MODに在籍したのは1982年暮れから84年夏まで。BOØWYと掛け持ちで参加していました。リーダーのジュネも認めている通り、AUTO-MODは布袋の加入により音楽性が飛躍的に向上します。1984年にレコーディングされたアルバム「DEATHTOPIA」は全ての楽器パートを布袋が担当。布袋のギターカッティング部分に、ツバキハウスでのLIVE音源(公式ビデオ「AUTO-MOD History」収録)を被せたのでTsubaki mixと名付けましたw

6. THE PETS|Across The Rainbow|live at Shinjuku LOFT 1985.2.2*

布袋がBOØWYと並行して掛け持っていたバンドはAUTO-MODともう1つ、THE PETSでした。つまり布袋は3バンドを同時に掛け持っていた時期があったのです。THE PETSは布袋在籍時はコアな人気があったようですが、公式音源が1つもないので現在では知る人ぞ知る存在のままです。80年に結成するもメンバーチェンジが激しく、それに嫌気がさしたリーダーの相良光紀はキーボードの松本明彦とのデュオでリズム隊は打ち込み、という編成にしたところ、83年にサポートのギタリストとして布袋が参加することになります。1984年1月のエコー&ザ・バニーメン初来日公演でオープニングアクトを務めています(1/17(火)、1/18(水)中野サンプラザ/ドラムは打ち込みではなくサポートで東川元則(シナロケ、赤と黒 ...etc)が参加)。この「前座への抜擢」は、当時THE PETSがCBSソニーからデビューすることが内定しており、その一環だったそうです。ただ84年秋にBOØWYがユイ音楽工房と契約し、ジャパンレコードから東芝EMIにレコード会社を移ることになり、THE PETSの活動に布袋が継続参加することは実質困難となりました。AUTO-MOD同様、THE PETSにおける布袋の音楽的な重要度は高く、リーダーの相良は「布袋の代わりを見つけての活動継続」は模索せず、THE PETSは85年春に解散しました。BOØWYのメジャーデビュー(いわゆるライブハウス時代からホール展開へ)が85年春からスタートすることが決まった84年のうちにTHE PETSはライブ活動を停止しました。年が明けて85年2月2日に新宿ロフトで布袋のバースデイ・パーティLIVEが行われ、この時THE PETSは布袋を含む編成で50分程のライブを行っています。曲間のMCで相良は「布袋とは去年いっぱいでライブはやらないって決まったんだけど、今日こうやって布袋のギターをプラスでTHE PETSが演奏できて、ホント嬉しいです」と吐露しており、布袋との信頼関係が強かったことをうかがい知ることができます。
THE PETS解散後、相良は「シャイニン・オン 君が哀しい」等のヒットで人気グループとなるLOOKの作詞家として同グループに深く関与します。そして作品を世に残しています。
ちなみにこのトラック、客席録音で余り音質が良くないので当初流す予定はなかったのですが、6/8のDJイベント当日、急遽挿し込むことにしました。自分の勝手な思い込みですが、公式音源もなくこのまま日本のロック史の影に埋もれてしまうのはもったいない、音質はさておきTHE PETSの曲をプレイした事実だけでも残したい、などと気負った次第です。そんな独りよがりの選曲だったのですが、DJブースからペッツの名前を出したら「おー、それエコバニの前座で観たよ!」という方が二人もいて、さすがネクロ盤魔殿、奥が深いなぁと感心しました。いやもうね、THE PETSが伝わったという事実だけでも私はこの日DJをやった甲斐がありましたよ。

7. AUTO-MOD|時の葬列 (Witching Hour mix)|時の葬列 (1984)

今回一番反応があったトラック。元音源はイントロの布袋のギターカッティングが印象的なAUTO-MOD「時の葬列」。これにNECRONOMIDOLの「Witching Hour」のギターリフをサンプリング~ループさせて同期させています。「Witching Hour」はネクロ魔のライブで初披露された時に「BUCK-TICKっぽい」とファンから評されたように、80年代群馬サウンドの影響を受けているので、ギターのトーンなど酷似していて、BPMも殆ど同じで、曲のキーの相関も良かったので見事にハマりました。もうちょっと「Witching Hour」の部分を聴かせられれば魔ヲタで溢れるフロアはもっと盛り上がったと思いますが、一方で「時の葬列」は私の大のお気に入りなので、リフだけにさせてもらいました~。
NECRONOMIDOL「Witching Hour」はこういう曲です↓
https://www.youtube.com/watch?v=-l4Q3E0bgfs

8. BOØWY & SUZI QUATRO|THE WILD ONE|「MARIONETTE」EP(1987)

曲のつなぎはかなり強引に、スージー・クアトロの往年のヒットナンバーにつなげました。このトラックはBOØWYがシングルでチャート1位を獲得し、名実ともに日本のロック/ポップシーンの頂点に登りつめたその時期に制作されています。既に解散はメンバー間では既定路線だったと言われていますが、ラストアルバム「サイコパス」からの先行シングル「マリオネット」のB面トラックとしてBOØWYとスージーが疑似デュエットしています。実際に同じスタジオに入ったわけではなく、まずBOØWYでオケをレコーディングし、そのテープを当時のディレクターが単身英国に渡りスージーに渡して、スージーのVocalパートを録り、帰国して氷室パートの録音とトラックダウンを行った、という作品。原曲に忠実なカヴァーではあるが、隅々に布袋のアレンジ能力の高さがうかがえて、個人的にはオリジナルverより好きですね。
シングルのリリースが1987年7月、最後のツアーが同年9月にスタートするが、ツアー前の7~8月にBOØWYはロックフェスに積極的に出演しており(毎年夏恒例)、この夏のフェスで「THE WILD ONE」のカヴァーは複数回披露されています(公式DVD BOXに収録)。

9. 星野アイ|コンガラ コネクション|「ストップ!! ひばりくん!」EP(1983)

最後はBOØWY、AUTO-MOD、THE PETS以外のサイドワークから。人気コミック「ストップ!! ひばりくん!」のTVアニメ版のエンディングテーマ曲であり、シングルのB面。未CD化音源です。布袋の参加は作曲ではなく、ギター演奏のみのようですが、クレジット表記はありません。ただBOØWYの現役時代から布袋の参加は公言されていたと思います。OPテーマ曲に比べROCK色が強くヘヴィーで、ギターも1983年当時のBOØWYとはまったく異なるゲイン高め、アーミングも使用、というスタイル。DJでは前トラック「THE WILD ONE」の中間ギターソロからオープニングのへヴィーなギターソロにうまく繋げたかな、と(笑)。  

以上、長ったらしいウンチクでした。
またDJイベントがあったら呼んでください~ネタ考えておきますので。
(敬称略)

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