マンハッタン計画の一員
数年前Facebookに投稿した原稿の転載です。
Aaron Novickは、あの米国「マンハッタン計画」に参加していた科学者の1人。広島に原爆が投下された1ヶ月ほど前に「トリニティ実験」という人類史上初の核実験(地上)が行われているが、その現場にも居合わせて、実験を観察した人物だ。当時まだ20代、マンハッタン計画では下っ端の方だったと思われるが(トップはご存知ロバート・オッペンハイマー)、戦後は同計画への参画の反動から徹底した平和主義者になった。
2000年に亡くなるまで、反核のために自身の体験を語り続けた。
写真=1996年2月6日と書かれたこのカセットは、同氏の講演を当時留学していたオレゴン大学で聴講した際に録音したものだ。先日帰省した時、たまたま見つけた。 現在、広島にも被曝を実体験した語り部は殆どいないという。
一方で加害者ともいえる米国側にNovick氏のような、広島と同じ視点(といったら語弊があるか)語り部がいたというのは奇跡に近いと思った。96年当時でも。Novick氏は米国では異端だったはず。恐らく国内右派からは批判されていただろう。
この講演を聴いたのと同じ時期、大学で「50 years after Hiroshima」という大学1年生が中心の少人数クラス(ゼミのような感じ)を履修していた。当時私は4年生。ある日のディスカッションで、避けては通れない「原爆投下の是非を考える」がテーマとなった。日本人は私を含め2~3人。今となってはショックも驚きもないが、その時二十歳そこそこの若者から当たり前のように「原爆があったから戦争を終えることができたんだ。原爆投下は妥当だ」という発言がでてきたことに、「はだしのゲン」世代の私は大ショックを受けた。米西海岸は米国のなかでもリベラルだし、わりと平和主義的な空気があるのだが。私もネイティブには聞き取りづらいであろう英語で必死に反論を試みたが、うまく伝わらずもどかしい。お前らも何か発言しろよ!って他の日本人に目で合図するも、一切発言は無く。
米国大使館前で、毎年の恒例行事として「アメリカは原爆投下を謝罪せよ~」という虚しい叫び声をあげている人たちを見ながら、そんなことを思い出した。
(2013年8月6日の投稿)