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留学費と旅費、すべて自分で稼ぐ高校生のリアルストーリー
こんにちは、戸田智咲です。
高校1年生の時に始めたファミリーマートでのアルバイトも4年目を迎えました。
私は地元で校則に厳しいと有名な私立高校に通っていたのですが、そのような校則に構うことなくアルバイトをしていました。
理由は、高校生のうちにどうしても留学に行きたかったからです。
「海外留学に行きたい。」そう熱望し始めたのは私が中学2年生、コロナが流行し始めた時でした。留学の中でも、高校生活の10ヶ月を海外で過ごすことのできる交換留学に魅了され、自粛要請が発布されている中で毎日のように両親に頼み込みました。
両親も、まだ14歳の一人娘が言う「留学に行きたい。」なんて言葉を簡単には本気で向き合うことはできなかったでしょう。多額のお金だって必要なのに毎日毎日耳が痛かったに違いありません。
当時の私は視野が狭かった為、「留学は絶対に良いこと」であり、行きたいと思うのはむしろ向上心があって偉いはずなのに、なぜ真剣に聞く耳を持ってくれないのかと厭わしく感じていました。
毎日毎食のように欠かさず発する「留学に行きたい」という私の言葉はついには度を越えてしまい、留学や海外の話題を口に出すたびに家が凍りつくような雰囲気になりました。「大学生になったら交換留学に行ってもいいよ。」という承諾は得ることができましたが、私は「今」行きたいのに、と気持ちは燃え続けているものの言葉にはしないようになりました。
コロナによる臨時休校も明け、中学3年生になった時、一人のある先生が口癖のように「自分でやっちゃえばいいんだよ」と口にしていました。行きたい場所があるのであれば、自分で校外学習の計画書を作って先生に提案してみればいい。会いたい著名人がいるのであれば、学校で講演会を開き講師としてお招きするよう依頼してみればいい、と言っていました。なんでもできるんだ、と私の行動力の根源となった印象強い言葉です。
かくして、「自分の力で行けばいいのか」「自分でお金を調達すればいいのか」と気がつき、高校1年時にファミリーマートでアルバイトを始めました。目標は受験勉強が本格化する前の高校2年生に留学をすることとして設定し、バレなければいいだろうと校則フル無視をかましながら突き進んでいきました。
そうして1年かけて40万円を貯めることに成功しました。当時は1年でたったの40万円か、とも思えましたが、今振り返れば学業も忙しい16歳が「留学」という成したくて仕方がなかったことを一心に見つめ、放課後に働き、貯めることのできたこの上ないほどに尊いものだったと思います。大学生になるまで待つのではなく、両親に説得をし続けるわけでもなく、その時に自分ができることを見つけて行動を起こした16歳の私が愛おしくて仕方がありません。当時の私はそこまで深くは考えていませんでしたが、高校1年生の私は「行動力」「実現力」という自分の強みに成り得るものを確立し、大きな大きな一歩を踏み出したのでした。
そうは言っても、留学における40万円は決して大きいものではなく、当初思い描いていた長期留学は消え去り、「語学留学 短期 格安」とスマホでひたすらに検索をかけました。
留学や海外に関する話題を極力家で話さなくなってから1年。まだその話題を口に出す勇気は持てず、この段階で両親に反対されるわけにもいかなかったため、私は両親に秘密で留学エージェントのカウンセリングを受けることにしました。お世話になることに決めた留学エージェントは、格安プランを売りにしており、当時の私にはまさに理想的な選択肢でした。三度にもわたるカウンセリングを経て、最も費用を抑えられる留学先であるフィリピンを選び、2週間の語学留学を計画しました。もちろん、16歳の未成年である私は、両親の許可がなければ正式に手続きができません。そのため、エージェントの協力を得て、必要書類を整え、両親からのサインさえ得られればすぐにでも出発できる状態にしました。
その後、話を切り出す瞬間を見極めました。できれば今夜話したい、夜ご飯の時間に話そう。よし、今話そう。決意を固めて口を開こうとした瞬間、自分の力で行くと心に決め、アルバイトをしてきた日々、留学へ行く手段を模索し続けた日々、そして一年前の留学の話をする度に凍りついた家の空間を鮮明に思い出しました。感情が込み上げ、堰を切ったように大粒の涙が次々と溢れてきました。
高校生のうちに留学に行きたい、
一年間、どうしたら留学に行けるか考え、2週間ではあるけれどアルバイトで留学費を調達することができたこと、エージェントと話し合い、この書類に同意のサインをもらえたらこの夏にフィリピンの語学学校へ行けることを話ししました。
結果、すぐには承諾は得られませんでしたが、一週間ほど待って許可が降り2022年、念願の留学へと行くことができました。
いざ、夢の2週間。沢山のお友達ができて、大好きな英語で生活する珠玉のような日々に、夏休みは過ごしようによってはこれほどまでに充実感あふれ、一生の宝になり得ることができるんだと感嘆しました。
正直、フィリピンの2週間の語学学校なんて、お金を出せば簡単にできることで、高校交換留学に行きたいではなく、短期語学留学に行きたいと両親に言っていれば承諾を得ることに時間は掛からなかったと思います。だからこそ、本気で留学したいのに遊びにも捉えかねない2週間の留学に渡航前はかなりコンプレックスを感じていました。結果の小ささに負い目を感じずにはいられませんでした。
それでも留学中は、自分が本当に望んでいた空間で、自分のお金を使っているからこそ、怖気づくことなく誰よりも全力で学び、友達をつくり、楽しむことができました。濃密な日々はあっという間に過ぎ去り、2週間で私の「留学に行きたい!」欲が消化されるはずもなく、帰国後直ぐに次の留学先を探し、アルバイトは辞めずに続行することにしました。
この時は予想もしていなかったのですが、2023年に私はケニアへ1ヶ月渡航することになります。(前回の投稿も読んでいただけたら嬉しいです^ ^)
高校三年生、一人でアフリカに行く。
その後もアラブ首長国連邦へ2度、イタリアを北から南まで周遊、エジプト1ヶ月滞在など、アルバイトをしては海外へ行くというサイクルが完成しました。様々な地へ赴くほど、次に行きたい場所が増え、現在は長期休みには必ず未踏の地へと赴くことを目標に、はたまた楽しみに生活をしています。それを実現するために、アルバイトに明け暮れています。学校へ行く前の早朝、部活がない日の放課後、土日は終日。まさに、明け暮れています。現在はどうしたらもっと効率的に旅費を調達することができるか真剣に模索している最中です。
高校生の時、「留学へ行きたい」と思い続けているだけであれば、大学生になった現在の目標も変わらぬままであったと思います。
当時の納得のいかない小さなステップだったとしても、踏み出したからこそまた新たな目標や夢ができ、ゆっくりと着実に世界を広げていくことができています。
「目的を持たずに旅に出る人は、目的を持たずにただ座っている人とは異なる。」(何もしないよりは、何か行動することは良いことだ。)
これは私が最近読んだ本に記されていた言葉です。行動しているからには必ず何か新しい発見があり、次にしたいことに繋がる、という身をもって体感したことを簡略化している言葉で何となく腑に落ちました。
目を異常な程にキラキラさせながら働いてる学生ファミマ店員がいたら、それは私かもしれません。日々、次の旅のために励んでおります☆
「留学費と旅費、すべて自分で稼ぐ高校生のリアルストーリー」いかがだったでしょうか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました(*^^*)
※本文では両親をあたかも障壁のように表現している箇所がありますが、現在そのようには考えておりません。当時の私の視野が狭すぎるが故に感じたことにすぎません。全てのきっかけである海外に興味を持つようになったのも、良い先生に巡り会えたのも、毎年海外旅行へ連れて行ってくれ、中学受験を「やりたければ挑戦してみてもいいんじゃない?」と快く承諾してくれた両親のおかげに他なりません。