MAX BAKAの国 #ユーラシア横断旅行記1 ベトナム
「MAX BAKA」という言葉がある。これは自分がよくやるLoLというゲームでベトナム人がよく使う煽りで響きがとてもいい。「oc cho」というのもよく言うので調べたら「くるみの大きさの脳みそ」という意味らしい。アジアからヨーロッパまで横断する旅行のスタート地点にベトナムを選んだのはそういう点で少し馴染みがあったからかもしれない。夜の便でおりたった5月下旬のベトナムのハノイはむわっとした日本の夏のような空気で迎えてくれた。荷物検査のときにそこのおばちゃんに「What's your name?」となぜか聞かれた以外は、特に問題もなく、入国。
市内へのバスは見た目と運賃270円の割にエアコン効いててWiFiつき、京都の市バスが逃げ出すレベルの高性能。ちょうどいいから事前予約したホテルの場所でも確認するかとホテル名を入れてみたら、評価3.0とある。あれ、予約サイトでは高評価だったけど…。そこでレビューを”おすすめ”から”最近”に変えてみると、案の定低評価の山。お前、やったな?
最高と書きながら10段階中の3評価をしているレビューや、”Gross hole”(きもい穴)の一文のみのレビューを見るうちに、キャンセルを決意。移動でつかれた上に、まだ慣れてない街でこれでは流石にこれからのモチベに関わる。人間だから穴じゃなくて少なくとも建物には泊まりたいし。
バスを降りたら、とりあえず宿を探さないとどうにもならない。横ではおじさんのあとをトイプードルがついて歩いてて微笑ましい。と思ったら、2秒後にはバイクがガンガン通る道路に出てふざけだしたトイプードルを、おじさんが怒鳴ってから繰り返し叩き始めた。旅が始まった感じがする。
事前に目星をつけた安宿をいくつか回ってみるも、収穫はなし。というか20分くらい歩き回っただけで髪から体まで汗で濡れまくり。半裸のおじさんがいっぱいいるのも頷ける。しょうがないからそのへんのホテルに入ると、一泊5000円。ドミトリータイプの宿なら、この値段で1週間は泊まれるけど、もうメンタル的にきつかったからそこに泊まることにした。チートデイだ、チートデイ。
フロントの人がなにやら、「わだ、わだ」と言うからなにかと思えばwaterで、おそらく無料の水と有料の水があることを説明していた。部屋の設備は最高過ぎるくらいだった。朝食もおいし。
2日目。まずはホテルを移る。高級なところから低級なところへ行くというのも変なものだが、2泊で1400円ほどの宿に変更。そこの宿の同い年くらいの受付の人が気さくで、ハロン湾に行きたいと言うと、ベトナムのおすすめの観光地なんかについていろいろ教えてくれた。「ニンビンはいいよ。待って写真見せるから。こういうところで自然がきれいな中を歩くんだ。しかもここから車で1時間くらい。」確かに、深い緑の広がる山の稜線を歩く感じでとても良さそう。「友達とか彼女とかたくさん連れていくのが楽しいんだよ。」む、陽キャの匂い。「だから予定合わせるの大変で行ったことないんだけどね。」いや行ったことないんかい。
歩いてベトナム戦争博物館にいき、開館前のゲート前で待っていると、おじさんがGoogle翻訳で日本語を話してバイクツアーをもちかけてきた。いろいろな場所を紹介してきたが、そこまで興味のわかないものもあったので、B52博物館というものだけ乗せてくれるか確認してみる。今いる戦争博物館の兵器の展示は、全部そちら側に移されたのだとか。流石に全部は嘘だろうけど。
ツアー代は行って戻って250,000ドン(1500円)だと言うが、100,000ドンで行けといってみる。冗談じゃないハハハと互いに笑い合う。200,000ドンより下げられないと言う。じゃあいいやと歩き始める。すると待ってくれ150,000ドン(900円)だ、と言う。やればできるじゃん。
おじさんは翻訳機でいろいろなことを教えてくれた。
「町中でよく見かける19.5という数字は?」
「ちょうど今日が、ベトナム建国の父ホーチミン氏の135歳の誕生日なのだ。」
「じゃあこっちの70という数字は?」
「今年でフランスから独立して70周年だ。」
見れば街中でベトナム国旗と共産主義のマークとも言える鎌と槌の旗が翻っている。そんな自由を確立したのはフランスから独立を勝ち取ったからで、ベトナム戦争でアメリカを下したからなのだが、おじさんはアメリカ人は嫌いじゃないという。だが中国人に対しては態度が悪かったのが面白い。同じ社会主義の仲間なのに。
最後にツアー代を払って二人で写真を撮って別れた。ベトナムのバスが70,000ドン(42円)で、京都バスが230円であることから比率で計算すると、このツアー代は日本では5000円換算くらいの価値があることになる。無料の翻訳機1つと1時間のバイクタクシーでこれだけ稼げるのはやり手のおじさんだ。実際この後の旅でもツアーを持ちかけてくる人間は数入れど、翻訳を駆使してくるおじさんはいなかった。
至近距離を列車が通る市場にも行ったが、列車が通る30分前から待っていたら、直前になって主に中国人の観光客たちが大挙して押し寄せてきて、前に入られ腹が立ったのでそいつらの写真を取って満足した。
夕食は屋台のバインミー。フランスパンに卵やらソーセージやらいろいろと香草(パクチー?)をはさんで両面を軽く炙ったもので、フランス統治時代の遺産ともいえる。炙ったフランスパンのカリッとした香ばしさがなかなかおいしい。でも後から気付いたがおつりが足りない。屋台の兄ちゃんがもう少しお釣りを渡そうとしたとこを帰ってきてしまったような気もするし、ちょろまかされたような気もする。失礼にも金は眼の前で数えるという教訓を得た。
3日目はハロン湾の島々を船で周るツアーに参加。海に大小数千の島が浮かぶ場所で、カルスト地形の一つ。現地語でハロンとは、現地語で龍が飛ぶ?というような意味らしく、降りてきた龍が炎の代わりに宝石を吐き出し、それが浮き上がってきたら島になるのだという。日本では富士山の名は、かぐや姫のおいていった不死の薬を頂上で焼いた不死山からくるという話があるが、すごい自然風景を前にしたときに、その感動を人外の不思議で説明しようとするのはどこも同じらしい。
もちろん1人で参加したので、カヌーを漕いでも1人、丘を登っても1人、咳をしても1人。ただ隣りに座った韓国人のおばさん2人と仲良くなり「私は大学生です」という自分が知っている唯一の韓国語自己紹介をすると「チャラネー」(うまいねー)といってくれた。後知っている韓国語はすべて悪口なので披露できなかった。
4日目はタンロン城、ホーチミン廟、ホアロー刑務所を訪れる。ホーチミン廟ではベトナム独立とその後に大きな貢献をしたホーチミンの本物の遺体が冷房の効いた部屋に保存されておりそれを見ることができる。ゴム人形のようであった。彼自身はこうなることを嫌がって、死後は火葬の後、ベトナム中に散骨してほしいと遺言したようだったがそれは叶わなかったらしい。1人の人間を崇拝し、いたるところにその顔写真があるのはとても社会主義国家らしいが、その人なきあともその命令に逆らって動き続けるのは、頭を失った生き物の体が勝手に動き続けるようでもあり不気味である。
ホアロー刑務所は、フランスがベトナム当地のために立てたもので、独立運動家を送り込んでいたらしい。糞便の中に手紙を隠していたとか、急にギロチン被害者の写真があるとかでなかなかに衝撃的。
夕方には事前に下見しておいたラオスのルアンパバーン行きのバス乗り場へ。直前だからか自分が外国人だからか知らないが、前日には800,000ドンと表示されていたバスが1,200,000ドンと表示されていた。いずれにせよ26時間のバス移動がそこから始まった。次はラオス。
振り返ってみると、人のことを「MAX BAKA」と急に罵倒してくるような人間はいなかったし、バカ舌でものを美味しく感じるラインが低いことを考慮しても、ごはんのレベルの高くとてもいい国。ただただ、例のLoLというゲームが人間の性格を悪くするのだということが悲しくも証明されてしまった。ここに1人例外はいますけどね。