愛が欲しくて欲しくてたまらない人へ
あなたは、どんな毎日を送っているだろうか?
今日どんな光景を見て何を思ったんだろう。
人はそれぞれ、今世学ぶべきことや手に入れたいテーマを持って生まれてきている。
それが何なのか?というのは、テクノロジーが進化して便利な世界になった現代、自分が望みさえすれば、どこに住んでいようと質の良いセッションやワークを受けることもできるし、世界レベルのメンターからも学べるようになってきた。
自分の中の、欠落感や本当の望みは何なのか?ということは、あなたもその気になれば、そう長い時間をかけずに見つけ出すことができると思う。
私は、自分自身を探してみて、私の人生で圧倒的に欠落していたのは、一般的には最も身近で簡単に得られるべき、親からの、ふわりとしたぬくもりやあたたかさ、触れ合いや、労り合う、といった類の、思わず微笑んでしまうような家族愛だということがわかった。わかってしまってホッとしている。
これは親や家族の名誉のためにいうと、彼らが冷たい人間だとか育児放棄をした毒親だということでは全然なくて、むしろ親は激烈に教育熱心だったし、私が社会人として惨めにならないためのありったけのことをしてくれたと思う。
良い人生、幸せな将来を送るため、常に心配され、先回りして失敗しない為の教訓を365日聞かされながら育った私。
いつしか丸腰の自分は欠陥しているのだと思うようになった。
自分に対してどこか偽者な気がしてしまい、しょせん私は他人から認められたり理解されることはむつかしいのだと思うようになった。
圧倒的な正義感と責任感で外の人には優しくし、積極的に社会奉仕をするのだが、家では信じられないくらい不機嫌になった母。
私は孤独感が背中にべったり貼り付いていて、結局ひとりぼっちだという思いから逃れられなかった。本当は「まだ何者にもなれていない今の私」を親に認めて欲しかった。
親子関係の傷は、大人になっても続きます。
私の中の孤独感の正体、私にとって渇望する愛とは、母から認められることだった。
そして、愛とは、相手をそのまま認めることだとわかったのだ。
なんだそうだったのか!と理解できたのは大人になって人間について勉強をしてから。
遠回りしたけど、やっぱり私は親から大切なことを学んだし、あの親でないと今の私にはなれなかった。
愛の欠乏感というレッスンを与えてくれた、世界一不器用でまもなく80歳になる今も我が道を猛進する母のことが、私はやはり大好きで愛おしくてたまらない。
もし愛が欲しい、愛に飢えていると、今感じている人がこれを読んでいたら、出来ることがある。
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