
胃弱女とピロリ菌
私は小さい頃から、食べ過ぎると大体お腹を壊していた。
その時は「胃弱」なんて意識はなく、まぁ食べ過ぎるからお腹を壊すんだよな位に思っていた。
中学生の時の修学旅行。場所は定番の京都・奈良だ。夕飯はすき焼き食べ放題。旅行でテンションが上がっていることも加わって、死ぬほど食べた。
入浴後、激しく胃痛がした。
「お腹を壊す」ではなく、「胃が痛い」という症状だった。記憶に残る中で、あれが初めての経験だったかもしれない。とにかく身を捩るような痛み。横にならないと収まらない。
修学旅行委員なるものをやっており、夜の委員会議に出ていたが、もう話を聞いていられる余裕はない。痛みで床に突っ伏していた。
「体調が悪いなら中途半端に参加しないで、部屋で休んでいなさい!」
突っ伏しながら聞いていたら、旅行担当の女体育教師に怒られた。
心配されるより先に叱られたことがなんだか哀しくて、思わず泣いてしまった。好きな人が旅行委員に参加していたのもあって、部屋に戻るのは惜しかった。だが叱られた手前、戻らないわけにはいかない。
すぐに部屋に戻り、就寝した。
朝になったら、痛みはなくなっていた。
高校生になり、部活が忙しくなった。私は吹奏楽部に所属していた。
この頃から、たまに胃痛が起きるようになっていた。
大抵夜に発症し、一度痛み始めると、横にならないと治らない。無理に歩こうとすると体勢が「く」の字になってしまう。
市ではなく町にある高校で、田舎だった。最寄駅まで徒歩15分以上はかかるが、胃痛が発生した時に歩くのは地獄だった。「く」の字のまま、田んぼを横目に歩くと、駅までがひどく遠く感じた。
大学生になり、胃痛の頻度が上がった。
ひどい時は週に2,3度起こった。
「空腹」や「食べすぎ」に関係なく起きていた。
家にいても、友人と遊んでいても、恋人とデートしていても起きるから困っていたが、病院に行っても原因がよく分からなかった。とにかく寝れば治るので、放置していた。
社会人になっても頻度は変わらなかった。
痛みがあると仕事にならず、簡単にその辺で横になれない環境に困っていた。それでもなんとか誤魔化しつつ、日々を送っていた。
が、社会人1年目の冬の終わり、ある朝。
胃の痛みと気持ち悪さで、ベッドから起き上がれなくなっていた。
新人賞を目指していたこともあり、慣れない仕事の中、完全にオーバーワークしてしまっていたことも原因だ。
いよいよ放置できなくなり、会社を休んで胃腸科専門病院へ行ったところ、「朝なにも食べてない?」と聞かれた。
「胃の調子が変だったので、食べていません」「よーし、じゃあ胃カメラしちゃおう」
やや食い気味で胃カメラをすることが決まった。
そこの医者は、少しテンションがおかしい人だった。
((え、胃カメラってそんなシュッてやれるの??胃カメラって怖いんじゃないの??))
「じゃあ外で少し待っててね」
ガラガラガラ
診察室のドアを開け、困惑を悟られないよう大人しく待合室のソファに座り、ひっそり恐怖に震えながら、胃カメラの準備を待った。
しばらくして名前を呼ばれ、検査室に通される。
胃カメラをやる前に、のどの麻酔としてドロドロした液体を口に入れさせられた。これが地味にしんどいのだが、口に入れた液体を、飲み込まずに5分間、のどに待機させなければならないのだ。はたから見るよりもかなりキツイ。誤って1回飲み込んでしまったが、すぐに看護師が飛んできて、「追加です」とまたドロドロを入れられた。なんで飲み込んでしまったのがバレたのだろう。バレたことが怖かった。
のどの麻酔タイムが終わると、いよいよ胃カメラだ。横になり、マウスピースを咥えさせられ、それをテープで固定される。その病院には鎮静剤なんかなく、鼻からでもなく、しっかり口から胃カメラを通された。
「はーい入れてくからねー」
医者は、終始楽しげだった。
私は、終始涙目だった。
「どんどん進めるよー!」
「あ、胃がすごく荒れてるねー!」
リズミカルに進めながら、口調がものすごく明るい。こちらは「おえっ」という嘔吐反射が止まらないというのに。だんだん腹が立ってくる。
胃カメラが最後まで到達した時に、
「ピロリ菌の検査していい?」
と突然聞かれた。
聞かれてもマウスピースで声が出せないので、小さくうなずいた。
「ピロリ菌の検査をするには粘膜を一部摘み取りますよー」
え、粘膜を摘み取るってなに?
「はい取れた」
考える間も無く、粘膜が摘み取られたらしい。お腹の中の何かが少し擦り取られるような、奇妙な感覚だった。
「あとは抜いていくだけだよー」
ずるずると胃カメラが引き抜かれていく。
何度「おえっ」となったか分からないが、ようやく解放されるようだ。
最後まで抜き取られてから、
「あーのど締め付けすぎてのどから血が出ちゃったね!力入れすぎ!」
と明るく言われた。
もう疲労と脱力感しかなく、いらだちを覚える暇はなかった。
***
『ピロリ菌』という存在を、その時に初めて知った。
[参考URL]
http://www.pylori-story.jp/pylori/pylori/
(ピロリ菌のお話.jp)
ピロリ菌は、胃酸に負けず、胃の粘膜にすみつく細菌のことだ。胃潰瘍や胃がんの原因にもなると言われており、一度感染すると、除菌しない限りすみ続けるらしい。
検査結果は、「陽」だった。
私の胃には、ずっとピロリ菌がいたのだ。
ピロリ菌がいることで、慢性胃炎になってしまっていたらしい。ほとんどは幼少期に感染し、発症は大人になってからだと言う。なぜ高校、大学、社会人と進むにつれて胃痛がひどくなったのか、合点がいった。
「除菌」には1週間の間、1日3回必ずきっちり専用の薬を飲む必要がある。どこかでうっかり忘れてしまうと、除菌が失敗するリスクが上がるらしい。効果をより強くするために、1日3食、ヨーグルトのLG21を食べることも推奨された。
毎日きっちり薬を飲み、きっちりLG21も食べた。
そうして社会人1年目の春。
私はピロリ菌の「除菌」に成功したのだ。
長年悩まされていた胃痛が、これでようやく改善を見せる。
文字通り、私の身体には春が訪れた。
***
…かのように見えた。
その1年後、私はまた同じ場所で胃カメラをしていた。
「ピロリ菌を除菌しちゃうと、胃の中のバランスが崩れて胃酸過多になっちゃうんだよねー」
またあっけらかんと言う医者。
なんということだ。
除菌してもしなくてもだめなのか。
「あ、でも胃炎はなくなってるよ!すごく綺麗な胃だねー若さだね!」
嘔吐反射に苦しむ私に、その励ましの言葉は何の意味もなさないぞ。
ということで、実はいまだに胃弱に苦しんでいる。原因がよくわからんのだ。
もはやピロリ菌の有無は関係ないと思うのだが、それでもたまにお腹に手をやって、「ピロリ菌がいるのかなぁ」とさすってしまう。
新人の頃にピロリ菌で休んだと噂になったので、今でも会社でお腹が痛いと訴えると、「またピロリ菌?」と言われてしまう。私の代名詞か。不名誉である。
----------------------------------------------
「こういうのって、体質なんですかね?」と問うた私に、医者は一言。
「"体質"って言葉は、医者が使っちゃあいけない言葉だからなーなんとも言えません!」
むしろ「お前のそれは体質だ。諦めろ」と言われてしまった方が楽なのになぁ、と思いつつ、今日もなにげなくお腹に手をやってしまうのだ。