長続きできない日常
どうして何もかも長続きしないんだろう?
映画、読書、アニメ、ドラマ、お笑い
麻雀、謎解き、茶道、着物、ヨガ
ライティング、英語、オンラインサロン
趣味にしても、お稽古にしても、勉強にしても、
飽きてしまう。
辞めてしまう。
短期目標は頑張れる。
頑張れた実績もある。
大学受験(7ヶ月)。
簿記試験(2ヶ月)。
会社の優秀賞(6ヶ月)。
1つは、やってることに次第に意味を見出せなくなる。
新しいことはワクワクして始めるのだが、全貌が見えてくると、もういいかな、となってしまう。
1つは、大きな目標がない。
ゴールがあり、長期目標を決め、中期目標を決め、短期目標を決める、というのはよく聞くが
まずゴールが描けない。
いつも思うのだけど、目指すゴールがないのだ。
ただただ、やったことのないことを経験するのが楽しいのだ。
その経験を得た事実が好きなのだ。
でも、いざ数年頑張った人の話なんかを聞くと、わたしの数年とえらい差だなぁ。
そりゃこんな実績差もつくよなぁ。
と思ったことは、実は何度もある。
1日1時間を毎日やった人と、何もしなかった人。
1日単位で見ればたった1時間だが、1年単位で見たら365時間だ。
これが3年経ったら1000時間だ。
未来を見据えて努力できなかった自分の敗北感。
長続きしないことは、自身の喪失にも繋がっている。
いつも「これをやる!」と思ってやらないわけだから、自分の約束をずっと守れていないようなものだ。
そうすると、いよいよ何かを始めるとき、決めるとき、「でもどうせできないしなぁ…」という思考に陥る。
気づいたら、そうなっている。
自分の可能性をどんどん信じられなくなってくる。
もう1つ、そもそも自分の中に生まれる「モチベーション」に頼りすぎている節がある。
社会人1年目の冬、あまりに仕事にモチベーションが感じられず、上司に聞いたことがある。
「仕事にモチベーションを感じられなくて、仕事が進まないんです。どうしたらいいですか?」
と。
この時の上司の答えはこうだった。
「あのね。仕事は、モチベーションがなくてもやるんだよ」
今思うと、至極真っ当な答えだった。
モチベーションがあろうがなかろうが、やるものはやるのだ。
何か長続きしないときに1番無駄なことは、「やると決意する」ことだと聞いたことがあるが、心からそう思う。
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