人生はものすごく有限である
来年に30歳になる。
小さい頃の30歳といえば、もうとんでもなく大人だった。
小学生のとき、女子の間で流行ったプロフィール交換で、
「結婚は何歳にする?★」
という質問項目に、
「20歳★」と書いたのは私だけではないだろう。
それくらい、小さい頃の大人の概念とは不明確で、遠い未来のことで、何も分からないからこそ、いつもわくわくした気持ちでいっぱいだったように思う。
未来は、何の根拠もなしに明るかった。
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来年に30歳になる。
何の根拠もなしに明るかった未来が、今は絶望になってるかというと、そんなことはない。
ただ昔と違って、今は人生がものすごく有限だと感じている。
人生=時間と置き換えてもいい。
何をするか、したいか、誰といるか、いたいかをいつも選択してきたつもりだが、
それは同時に、
何をしないか、したくないか、誰といないか、いたくないかを選択するのと同じことだったんだと気づく。
小さい頃と変わらず、いまだって、いつでも何かを選べるつもりでいたけど、
本当はそうではなくて、
「何を選ばないか」を明確にしないといけないんだと思った。
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自分は思いつきでアレもコレもやってみよう!と思うことがすごく多い。
昔からなんだってそうだ。
テニスの王子様が好きだったからテニス、
音楽が好きだったから吹奏楽、
英語が好きだったから短期留学、
運動不足だったからフットサル、
AKBが好きだったからダンス(コピー)、
色んな場所を知りたいと思ったから海外旅行、
教育に興味があったからボランティア、
パソコン触ったことあったからシステムエンジニア、
知識があるとかっこいいなと思ったからクイズ、
頭の体操になると思ったから謎解き、麻雀、
書く世界を知りたかったからライティング講座、
家でも弾ける楽器を始めたかったからウクレレ、
最近は、侘び寂びを学べると思ったから、きものの着付けと茶道だ。
これ自体は、純粋に自分の中から湧き出たモチベーションだ。
いつもわくわくした気持ちで何かを始める。
ただ、物事を継続する上で、誰しも壁にぶち当たる。
もうやめようか、と挫折を感じる時がある。
そんな時、私の場合、継続するためのモチベーションはだいたい
「人に認めて欲しい」
という気持ちと
「相手よりできなくて悔しい」
という気持ちから生まれることが多いように思う。
自分の内から湧き出る感情よりも、外的要因による動機付けが多いから、そういうものに振り回されて、気づいたらたくさんの必要ないものも「選んで」きてしまったのかもしれない、とふと感じた。
アレもコレもやってみたっていい。
「何かを始めるときに遅すぎることはない」
私のすごく好きな言葉だ。
でも、やっぱり何かを始めるなら、きちんと基本を理解して、できるなら極めたい。
自分のものにしたい。
そして、本当の意味でアレもコレもなんて、実際には選べない。
私が今から医者になって弁護士になって会計士になって通訳になるなんてできないし、そんな気概もない。
始めるときに遅すぎることは絶対にない。
そう思う。
けど、それなら、せっかくなら、
自分が「選ばない」ものをちゃんと決めたい。
いろんなものに手を出したって、結局中途半端だ。
最近、あまりモチベーションが上がらないことが多い。
ぼんやりやりたいことは浮かぶけど、行動に移せてないものばかりだ。
だからこそ、自戒を込めて、「選ぶ」代わりに「選ばなかった」ものをちゃんと見つめてみようと思う。
やっぱり選びたいなら、それも大事に次やりたいことリストに取っておこう。
人生、有限だなぁ。
私はこれから何をやろうかなぁ。
そんなことを思う、梅雨の夜。
とりあえず来週は鰻を食べたいと思う。